インタヴュ:アシジのフランシスコ古郡忠夫(ふるごおり・ただお)神父様に聞く
古郡忠夫神父様 : 1984年,東京生まれ.2013年,司祭叙階.成城教会助任司祭を経て,2016年6月より関口教会助任司祭,兼本郷教会協力司祭.
– 潮見教会出身とお聞きしました.教会学校の思い出は?
神学校に送り出してくれたのは潮見教会ですが,子どもの頃の思い出が多いのは築地教会です.教会が大好きで,神父様も優しくて,幼稚園のころは神父になりたいと思っていました.10歳くらいのときに築地から潮見の教会に移って,同時に中学受験のための勉強も始まり,教会にはほとんど行かなくなってしまいました.
– 北海道の大学に進学後,再び教会に通われるようになったということですが.
大学の入学式に来た母が教会に行くというので,一度だけ行くつもりで私もついていったのです.そのとき初めて行った教会で,神父様や信者さんたちが「よく来てくれたね」と暖かく声をかけてくれて,気づいたら次の週も教会に来ていました.それからほぼ毎週日曜日,ミサに参加し,教会で活動するなかで,司祭になりたいという気持ちが育まれていきました.具体的には,通っていた教会の神父様が病気になられて,体調の良くない時にはたびたび日曜日のミサがささげられない状況があって,そんなときに,こんな自分でいいならば神父として働いてミサをささげたい,と考えるようになりました.他にも色々な,これは神から呼ばれているとしか思えないという出来事がありました.
– 大学卒業後,就職して社会人としての経験を経て,神学校に入られたのですね.
卒業後,東京に戻って働きながら,ミサがあるからこそ自分はさまざまな困難を乗り越えられているのだ,と確信して,やっぱり神父になりたい,と神学校に飛び込んだ,という感じですね.それに,当時戻ってきて通っていた潮見教会の主任司祭が兼任で,教会に神父が住んでいなかったことも,こんな私でよかったら教会で使っていただきたい,という思いを強めました.父親には「神父になるのはおまえみたいな人じゃない」と言われました.うちは祖父の代からキリスト教の家で,父親も幼児洗礼なので,父親の心の中にも神父像,司祭像みたいなものがあったのだと思いますね.それでも神学校に入ってからは,父親もだんだん応援してくれるようになりました.
– 大学生の時は,ファッショナブルな若者だったそうですね.
普通ですよ(笑).本当に,ごく普通でしたから,若者らしくおしゃれもしていましたし.だから父親にとっては,そんな普通の自分の息子が神様に呼ばれているとは最初は思えなかったのでしょうね.特別な人が,生まれながらにして聖なる人が,神父になるのだ,という意識があったのだと思います.ある意味では,私たちキリスト者は皆そう思ってしまっているかもしれないのですが.でも,神様は特別な人を呼んでいるということではない,と思うのです.神様は,その人が生まれて育っていくなかで,色々な経験,必要な体験を与えながら,ちゃんと一人ひとり神様にとって大切な使命を担わせているのだと思います.