2015年2月26日木曜日

戦後70年日本カトリック司教団メッセージ: 「平和を実現する人は幸い – 今こそ武力によらない平和を」.

戦後70年日本カトリック司教団メッセージ:「平和を実現する人は幸い – 今こそ武力によらない平和を」.

キリストにおける兄弟姉妹,ならびに平和を願うすべての方々へ,

日本カトリック司教団はこれまで,1995年に『平和への決意,戦後五十年にあたって』,また2005年には『「非暴力による平和への道」 – 今こそ預言者としての役割を』というメッセージを発表してきました.戦後70年を迎える今年,ここに改めて平和への決意を表明することにいたします.

1. 教会は人間のいのちと尊厳に関する問題に沈黙できない.

カトリック教会にとって今年は,1962年から1965年にかけて行われた第二バチカン公会議の閉幕から50年という記念すべき年にもあたります.二十世紀の前半,ヨーロッパを中心としたキリスト教会は,二つの世界大戦やナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺などを経験しました.これらの悲劇の反省から教会は,いわゆる宗教的な領域に閉じこもるのではなく,人類の問題を自分の問題として受け止めなければならないと自覚するようになりました.第二バチカン公会議の終わりに発表された『現代世界憲章』の冒頭には,その自覚が次のような文章ではっきりと示されています.

「現代の人々の喜びと希望,苦悩と不安,とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは,キリストの弟子たちの喜びと希望,苦悩と不安でもある.真に人間的なことがらで,キリストの弟子たちの心に響かないものは何もない」.

第二バチカン公会議後のカトリック教会は,フランシスコ現教皇にいたるまで,人間のいのちと尊厳の問題,とくに抑圧された人や排除された人の問題に真剣に,積極的に向き合おうとしています.

2. 戦争放棄への決意.

1945年までの日本の朝鮮半島などに対する植民地支配,中国や他のアジアの国々に対する侵略行為はアジアの人々に大きな苦しみと犠牲をもたらしました.また,日本人にとっても第二次世界大戦は悲惨な体験でした.1945310日の東京大空襲をはじめ,日本の多くの都市への大規模な空爆がありました.沖縄における地上戦によって日本や外国の兵士だけでなく,多数の民間人が犠牲になりました.そして86日広島への原爆投下と89日長崎への原爆投下.これらの体験から平和への渇望が生まれ,主権在民,戦争放棄,基本的人権の尊重を基調とする日本国憲法が公布されました(1946年).日本はこの平和憲法をもとに戦後70年,アジアの諸国との信頼・友好関係を築き,発展させたいと願って歩んで来たのです.

一方,世界のカトリック教会では,東西冷戦,ベルリンの壁崩壊などの時代を背景に,軍拡競争や武力による紛争解決に対して反対する姿勢を次第に鮮明にしてきました.

ヨハネ二十三世教皇は回勅『地上の平和』において「原子力の時代において,戦争が侵害された権利回復の手段になるとはまったく考えられません」と述べています.第二バチカン公会議の『現代世界憲章』は,軍拡競争に反対し,軍事力に頼らない平和を強く求めました.1981年,ヨハネ・パウロ二世教皇が広島で語った平和アピールのことば,「戦争は人間のしわざです.戦争は人間の生命の破壊です.戦争は死です」にも,はっきりとした戦争に対する拒否が示されています.

以上の歴史的経緯を踏まえるならば,わたしたち日本司教団が今,日本国憲法の不戦の理念を支持し,尊重するのは当然のことです.戦争放棄は,キリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請であり,宗教者としていのちを尊重する立場からの切なる願いであり,人類全体にとっての手放すことのできない理想なのです.

3. 日本の教会の平和に対する使命.

日本カトリック司教団は,特別に平和のために働く使命を自覚しています.それは何らかの政治的イデオロギーに基づく姿勢ではありません.わたしたちは政治の問題としてではなく,人間の問題として,平和を訴え続けます.この使命の自覚は,もちろん日本が広島,長崎で核兵器の惨禍を経験したことにもよりますが,それだけではなく戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に対する深い反省から生まれてきたものでもあります.

1986926日,東京で開催されたアジア司教協議会連盟総会のミサにおいて,白柳誠一東京大司教(当時)は次のように述べました:「わたしたち日本の司教は,日本人としても,日本の教会の一員としても,日本が第二次世界大戦中にもたらした悲劇について,神とアジア・太平洋地域の兄弟たちにゆるしを願うものであります.わたしたちは,この戦争に関わったものとして,アジア・太平洋地域の二千万を越える人々の死に責任をもっています.さらに,この地域の人々の生活や文化などの上に今も痛々しい傷を残していることについて深く反省します」.

これは一個人としてのことばではなく,司教協議会会長として司教団の総意を代表して述べたことばでした.さらに日本司教団は戦後50年と60年にあたっての平和メッセージの中で,戦前・戦中 の教会の戦争責任を反省し,その上に立って平和への決意を表明しています.

4. 歴史認識と集団的自衛権行使容認などの問題.

戦後70年をへて,過去の戦争の記憶が遠いものとなるにつれ,日本が行った植民地支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の歴史を書き換え,否定しようとする動きが顕著になってきています.そして,それは特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって事実上,憲法9条を変え,海外で武力行使できるようにする今の政治の流れと連動しています.他方,日本だけでなく,日本の周辺各国の政府の中にもナショナリズム強調の動きがあることにわたしたちは懸念を覚えずにはいられません.周囲の国と国との間に緊張がある中で,自衛権を理由に各国が軍備を増強させるよりも,関係改善のための粘り強い対話と交渉をすることこそが,この地域の安定のために必要なのです.

また日本の中でとくに深刻な問題は,沖縄が今なお本土とは比較にならないほど多くの基地を押し つけられているばかりか,そこに沖縄県民の民意をまったく無視して新基地建設が進められているという ことです.ここに表れている軍備優先・人間無視の姿勢は平和を築こうとする努力とは決して相容れません.

5. 今の世界情勢の深刻な危機の中で.

今,世界を見渡せば,各地で軍事的な対立やテロの悲劇が繰り返されています.国家間,民族間の対立,宗教の名を借りた紛争が激しくなり,対話を不可能と感じさせるような状況が世界各地に広がっています.その中で数多くの人々,とくに女性や子ども,少数民族や宗教的マイノリティーの人々のいのちが脅かされ,実際にいのちが奪われています.世界各地で続くこのような惨状について,フランシスコ教皇は「第三次大戦」という人もいるだろうとの懸念を表明し,過ちを繰り返さないようにといさめました.この世界は,結局のところ,力がものをいう世界なのかと疑わざるをえないような危機的状況に直面しています.人間性を尊重する理性はどこへ行ってしまったのでしょうか.暴力を押さえ込むために新たな暴力を用いるようなやり方を繰り返していては,人類全体が破滅に向かうだけです.

世界はグローバル化された企業や金融システムの力に支配されています.その中で格差は広がり続け,貧しい人々が排除されています.人間の経済活動は気候変動や生物多様性の喪失を引き起こすまでになっています.平和の実現のためには,このような状況を変えること,世界の貧困や環境の問題,格差と排除の問題に取り組むことが不可欠です.わたしたち一人ひとりにも地球規模の問題に対する無関心を乗り越え,自分の生活を変えることが求められています.わたしたちにできることは,すべての問題を一気に解決しようとせずに,忍耐をもって平和と相互理解のための地道な努力を積み重ねることです.

おわりに.

もう一度,ヨハネ・パウロ二世教皇が広島で語った『平和アピール』のことばを思い起こします:

「目標は,つねに平和でなければなりません.すべてをさしおいて,平和が追求され,平和が保持されねばなりません.過去の過ち,暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを,繰り返してはなりません.険しく困難ではありますが,平和への道を歩もうではありませんか.その道こそが,人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり,人間の運命をまっとうさせるものであります.平和への道のみが,平等,正義,隣人愛を遠くの夢ではなく,現実のものとする道なのです」.

わたしたちは「平和を実現する人は幸い」(マタイ 5,9)というイエス・キリストのことばにも励まされます.戦後70年,第二バチカン公会議閉幕50年にあたり,平和を求め,平和のために働く決意を新たにしましょう.わたしたち日本のカトリック教会は小さな存在ですが,諸教派のキリスト者とともに,諸宗教の信仰 者とともに,さらに全世界の平和を願うすべての人とともに,平和を実現するために働き続けることを改めて決意します.

2015225
日本カトリック司教団


2015年2月21日土曜日

聖イグナチオ学院基金への御寄付のお願い

今月8日,東京カテドラルで行われた主日の御ミサは,主任司祭の山本量太郎神父様と,イエズス会のペトロ浦善孝神父様との共同司式により行われました.

浦神父様は,イエズス会から東ティモールへ派遣されて,独立から間もないがゆえに様々な制度上の問題をかかえたその小さな貧しい国で,子どもたちの教育に当たっています.首都ディリ近郊に創られた聖イグナチオ学院で教えていらっしゃいます.

御ミサのなかで浦神父様は当地の御苦労の多い状況と,そのようななかでも学習意欲に燃える子どもたちと,子どもたちを助ける教員たちについて,お話してくださいました.

東ティモールが抱える諸問題は日本ではほとんど知られていませんが,当地の子どもたちの教育を支援するために聖イグナチオ学院基金が設立されています.御賛同いただけます方々の御寄付をお願い申し上げます,と浦神父様はおっしゃっています.


浦神父様と,東ティモールの首都ディリ近郊にある聖イグナチオ学院の中学一年生たち



2013年11月に上智大学で行われた講演会の案内から



以下,浦神父様が作成なさったパンフレット:「東ティモールのふたつの新しい学校への御協力のお願い」の文面を掲載します:

Colégio Santo Inácio de Loiola : 聖イグナチオ・デ・ロヨラ中学高等学校(2013115日開校)Instituto São João de Brito : 聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学4年制2016年開校予定

東テイモールの二つの新しい学校へのご協力のお願い

イエズス会カトリック司祭,聖イグナチオ学院基金現地世話人
ペトロ 浦 善孝

カトリック教会の男子修道会であるイエズス会は,東ティモールに二つの新しい学校を設立する計画があります.

すでに,聖イグナチオ・デ・ロヨラ中学高等学校(聖イグナチオ学院) を 2013年 l月に開校いたしました.続いて,よく準備された高等学校の教員養成を目的とした聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学を 2016年に開校する予定です.

2002年にインドネシアより独立した東ティモールは,今なおアジア最貧国の一つです.2012年末に,これまで当国の運営を支えていた国連が撤退しました.今後は自分たちで国づくりが進められてゆくことになりますが,とりわけ教育は重要な役割を果たすと思われます.

そこで,二つの学校とそこで学ぶ生徒のために「聖イグナチオ学院基金」を設立いたしました.

これらの学校は学費を高くすることができず,建築・運営費と奨学金の大半をご寄付や設立母体のカトリック・イエズス会を通してのご支援でまかなっているのが現状です.

私はイエズス会司祭として,同会を設立母体とする上智福岡中学高等学校(泰星学園) や六甲中学高等学校で働いて参りましたが,2012年より東ティモールに派遣され,これら二つの学校で働いています.

したがって,現地で私がこの聖イグナチオ学院基金の運営責任を負います.趣旨をご理解いただき,ご協力を賜れますよう,お願い申し上げます.


聖イグナチオ学院基金ご協力のお願い


東ティモールについて


カトリック・イエズス会は,中国,アフリカ,ミャンマ一,JRS(イエズス会難民サービス)等における奉仕活動とならんで,東ティモールでの活動も優先課題のひとつとしています.

東ティモールは,オーストラリアの北に位置する人口約120万人,岩手県とほぼ同じ面積の,20025月に独立した小国です.

同国は16世紀半ばからのポルトガルの植民地時代と,第二次世界大戦中の3年間の日本軍による占領時代を経て,1975年のポルトガル撤退後,1976年にインドネシアに併合されました.すでに独立の機運がありましたが,インドネシア統治時代には同化政策がとられました.

その後国連の仲介により,インドネシア政府とポルトガル政府の合意のもと,1999年にインドネシアからの分離独立を諮る住民投票が実施された結果,東ティモールの独立が決まりました.

しかし,インドネシア軍撤退の際には,破壊活動や強制的な西ティモールへの住民移住が行われました.そのために1975年以降,多くの難民と20万人近い死者,行方不明者が発生したといわれています.

21世紀初の独立国となった東ティモールは,政情は安定してきましたが,住民の生活はなかなか向上しないのが実情です.

このような状況の中で,若者(2010年の時点で,19歳以下の若者が人口全体の 52.4% を占めています)と社会のために質の高い中等教育が待望されています.


聖イグナチオ学院基金設立経緯


20098月に福岡で6日間にわたって開催された東アジア太平洋地区のイエズス会学校ワークショップでは,東ティモールの新しい学校設立を各国のイエズス会学校がいかに支援するかということがテーマとなりました.

そのワークショップの中で,日本からの会議参加者(イエズス会四校と言われる,栄光学園中学高等学校,六甲中学高等学校,広島学院中学高等学校,上智福岡中学高等学校(泰星学園)の理事長,校長とイエズス会教育推進の担当教員)たちは,日本の四つのイエズス会学校は各校で募金活動をして東ティモールの新しい学校の生徒たちに奨学金を送ろうというアイデアを提案し,実現へ向けて動き始めました.

この運動には,「人から人へ」 顔の見える交流にしたいとの思いが込められています.同時に,私たちも東ティモールの人びととの交流から多くを学ぶことができるだろう,ということも考えました.

これが「聖イグナチオ学院基金」設立の発端です.

しかしながら,世界最貧困の一つに数えられる東ティモールとは容易に連絡が取れず,また新しい学校設立の進捗状況や現地の社会情勢も不確かで,誰に送金すれば確実に支援が生徒のために使われるかということもはっきりしない状況が続きました.そこで,20112月に一人のイエズス会学校教員が現地視察のために派遣され現状を視察しました.

新しい学校設立に先立ち,東ティモールのイエズス会は20年ほど前からディリ大司教区より聖ヨゼフ学園(高等学校,2013年閉校)を委託され運営に携わっていました.近年になって,ディリ大司教区が聖ヨゼフ学園の土地にカトリック大学を設立することになり,それに合わせて当地のイエズス会は独自の新しい学校を設立しようという計画を立案し,土地購入や教員養成等の準備を開始しました.

201112月をもって聖ヨゼフ学園の運営が当地の教会に返還されることが決定されたことに伴い,イエズス会東アジア太平洋地区協議会は,イエズス会が運営する新しい中学高等学校を2013年に開校することを決定しました.


聖イグナチオ学院の今


すでに聖イグナチオ学院は 20131月に開校しており,現在中学1年生から中学3年生まで 271名の生徒が在学しています.

2016年には引き続き高校を開校いたします.

また隣接地には,高等学校教員を養成するための聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学の設立準備が進められています.この教育大学はオーストラリア・カトリック大学と提携し,単位も認められる予定で,東ティモール政府の設立認可をすでに得ており,高校と同じく2016年開校を目指しています.

政府から提供された土地も含め,ふたつの学校のために12ヘクタールあります.両校の土地取得と校舎建設費の総予算は約14億円が見込まれていますが,これらはイエズス会の各管区,様々な援助組織や篤志家の方々からの援助でまかなわれつつあります.

設計と建設の会社,建築資材と熟練労働者のほぼ全てを海外に頼り,同国では自国通貨がなく米ドルを使用しているため,建設費が高くなっています.

その他に学校運営経費も必要ですが,私がお世話をさせてただいている「聖イグナチオ学院基金」は,奨学金支給,教科書購入,備品文房具購入,図書館整備,教員研修など日々の学校運営に必要な教育環境(ソフト面)を整えるために用いられています.

このコンテキストで,高校開校を控え理科実験室を作るプロジェクトを始めたところです.

私はこの学校でadministradór と言われる副校長のような職を勤めながら,宗教・道徳科の授業を担当し,図書館設立運営や奨学金業務に携わっています.そして日曜日には,山里や海辺のチャペルにでかけミサを捧げています.

2014年,学校の収入(1と中2の生徒170名):
学費収入は総収入の20%.
2014年総収入 $ 154,756.81
(学費収入 $ 30,980.00, イエズス会からの補助 $ 103,008.35, 政府からの補助 $ 300.00, 寄付金 $ 11,735.95, 前年度からの繰越 $ 826.81, 等)

2014年,学校の支出(1と中2の生徒170名のため):
2014年総支出 $ 154,237.21
(給与 $ 78,598.33, 生徒活動費 $ 8,748.65, 家具・図書教科書費 $ 16,697.95, 事務文具費 $ 5,782.50, 自動車維持費 $ 7,382.45, 建物維持管理費 $ 4,819.40, 等)

2015年の学費(学費を高くすると生徒が入学できなくなるので低くしています):
2と中3の生徒の年間学費は 172 USドル(授業料 $ 110 + 諸経費),三回分割で納入
新中1の生徒の年間学費は 212 USドル(授業料 $ 130 + 制服・体操服+諸経費),三回分割で納入


通学してくる生徒の様子


聖イグナチオ学院は首都ディリの西 18 km に位置する海に面したリキサ県ウルメラ村カサイ集落にあり,学校周辺やディリから生徒が通学してきます.

学校所在地のウルメラ村は半農半漁の寒村で,私はこの村に住んでいます.この村では生計を立てるために 80 % 以上の家庭がごく零細な農業に従事しており,トウモロコシやキャッサバなどを育て,鶏や豚,山羊や牛を飼育しています.現金収入の多くを薪を売ることで得ています.また,わずかの家庭が小舟を持っていて,漁をしています.

いずれにせよ,この地域の平均的な家族の人数は6人で,大部分の家族は一人一日 2 USドル以下の収入しかなく,日々の生活必需品にも事欠いています.

そして多くの住居にはトイレがなく,村には診療所のようなものもありません.公共交通機関も発達しておらず,ミクロレットというバンの超小型乗合バスを利用する生徒もいます.

放課後,地元から通ってくる生徒たちは,家に帰ると,水汲みや薪を用いる炊事の手伝い,兄弟姉妹の世話,家畜の餌やりなど家事を手伝っているようです.

首都ディリからやってくる生徒たちは,トラックの荷台に立ち乗りでやってきます.生徒の親たちが自分たちで話し合いこのような通学形態になりましたが,何度か警察に止められ,「トラックは動物を運ぶもので人間を運ぶものではない」と言われたこともありました.それ以来,校長先生は理由を書いた手紙をトラックの運転手に託しています.

開校当初は,運行ルートにいる子どもたちがトラックに乗っている生徒に向かつて石を投げたりしましたが,粁余曲折があり今はその子たちも聖イグナチオ学院に入学したいといっており,手を振ってくれます.

ディリの街中を歩くと時折路地から「先生!」と声がかかり,こんなところからも生徒が通ってきているのかと気づかされることがあります.

入学試験の一環として入学オリエンテーションを兼ねた「集団活動」(三次試験)が行われますが,一昨年,参加費 10 USドルを払えなくて欠席した生徒がいました.家にお金がなく,おじいさんに頼んだところ,女の子は学校に行かなくともよいと言われたそうです.校長先生は,彼女と彼女の親に,「集団活動は欠席したけれども,それはいいから,奨学金制度があるので申請して学校に来なさい」と伝えました.

皆様からいただいたご寄付はこのように使わせていただいています.

この経験から,次の入試より学校所在地の村の受験生には三次試験の受験料を免除するとともに,奨学金制度があることを村人に周知するよう努めています.


聖イグナチオ学院と聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学のミッション


毎年入学してくる中学1年生の年齢は,11-14才で,日本の中1 から中3にあたる年齢です.様々な理由で教育を継続して受けられなかったり,公立中学校をやめて再入学してくる生徒もいます.生徒の中には独立後の混乱のことを覚えていたり,難民生活を送った生徒もいます.

中学校純就学率が25%, 高校純就学率が18% (2010) のこの国では,中学高校に進学できるのは経済的に少しだけ恵まれた家庭の子どもたちです.しかし,より貧しい家庭の子どもたちが聖イグナチオ学院で学ぶことができるように実際的配慮をしています.奨学金制度もそうですが,田舎からの受験生の合格基準点も下げています.

高校卒業者が必ずしも就職できない中で,また貧しい子どもたちと経済的に少しだけ恵まれた子どもたちが一緒に机を並べて学ぶ中で,学校教育はどのような役割を果たし,意義があるのかと問い,その回答を見出してゆくことも私たちの学校の使命だと考えています.

学校で勉強し,共同生活をすることを通して,彼ら,彼女たちが互いに自分の尊厳や自尊心,人間性を高め,ひいてはよりよい社会を築くための貢献ができる生徒を育てることができればと考えています.

世界銀行の報告によれは,紛争後の低開発途上国において中等教育は等閑にされがちであることが指摘されています (Reshaping the Future, 2005). そのために聖イグナチオ学院が東ティモールの中等教育のモデル・スクールとなることを目指していること,聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学が高等学校の教員養成を目的としていることは,的を得た教育プロジェクトだと確信しています.聖イグナチオ学院は,普通科(リベラノレ・アーツ)教育を行っています.


ご協力のお願い


2012年に東ティモールに赴任し,現地で働き始めると,当初の見込みとは異なり,多岐にわたる支援が必要なことが分かつて参りました.また,支援を受ける側の要望も解って参りました.

この国の貧しく生活している子どもたちに良い教育を提供するため,聖イグナチオ学院基金を現地の要請に合致するように修正しながら運営して行きたい,と考えています.

A. 奨学金プログラム
経済的に子どもたちの就学を支援するプログラムです.一口30,000円としてご協力をいただいています.支給される奨学金には,授業料,制服・体操服代,諸経費,そして学校運営補助費が含まれています.すでに現在6名の生徒に支給しており,3名の受給希望者もいます.現在約20人の生徒に6年間奨学金を支給する資金があります.

B. 校舎建設費へのご寄付
現在,図書館建築のため,ご協力を募っています.工事は2021年まで続く予定です.多少にかかわらず,ご協力いただければ幸いです.(参考.教室一つの建築費が850万円程度,図書館の建設費が4500万円程度)

C. 学校運営費や教材費へのご寄付
教職員の給与はイエズス会からの援助と政府からの補助で賄っているので,それ以外の教員研修費,学校備品や理科実験室教材,教科書や図書購入のための援助を必要としています.



イエズス会学校とは? 力トリック学校とは?


イエズス会学校とは,1540年ローマで聖イグナチオ・デ・ロヨラによって創立されたカトリック教会の男子修道会が設立母体となり,その精神を受け継いで教育を実践している学校です.

日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは,聖イグナチオがイエズス会を設立した時の同士の一人でした.

日本では上智大学やエリザベト音大をはじめ,栄光学園,六甲学院,広島学院,上智福岡中高がイエズス会学校です.

私立学校としてのカトリック学校は,たとえば日本では,公立学校や他の私立学校と同じように学習指導要領に則った教育をキリスト教的価値観にもとづいて行っています.イエズス会学校もカトリック学校の一つですが,カトリック教会がいうカトリック学校は,特にすべての人びとが生きてゆくために必要な教育を受ける権利を保障することを第一の目的としています.

近年,カトリック教会は,カトリック学校が「一番弱い者たちに配慮する学校」であることを求めています.そのため今日,カトリック学校は世界的規模で,あらゆる宗教を信じる若者に「技術的,科学的能力によって特徴づけられる社会で生きてゆくために,必要な基本的知識を獲得するための手段」を提供できるように努めています.

実際にこの目的を達成するために,「世界人権宣言」や「児童権利宣言」の実現のために努力し,また UNESCO などの国際機関とも連携するようにとカトリック教会は広く呼びかけており,イエズス会学校もそれに応じる教育を世界各地で実践しようとしています.

イエズス会学校は,Men for others (他者のために生きる人)を育成します.

以上の経緯を背景として,聖イグナチオ学院基金を設立し現在に至っております.

この趣旨にご賛問いただけるすべての皆様に,これらの学校で生徒が学ぶことができるようにご寄付のご協力をお願いいたします.

日本圏内におきましでも東日本大震災の復興支援や自然災害の復旧など,私共が志を向けなければならない場所はございますが,あわせて国境や民族の境界線を越えて海外にいる学ぶために支援を必要としている若者たちのためにも関心を向けていただければ幸いです.

私たちは物質的に豊かな社会の中で,恵まれた環境にあります.今度は,私たちが貧しく様々な困難に直面している国の若者の将来を支援できればと思います.

ブログ「東ティモールワニ通信」で,聖イグナチオ学院の学校生活やウルメラ村の様子をご覧いただけます.



聖イクナチオ学院基金プログラム


A. 奨学金プログラム,一口3万円(生徒1人分の年間経費)
ひとり分の授業料と制服・体操服,年間諸経費,加えて学校運営費補助.

B. 学校校舎建設費へのご寄付
現在,図書館建築のためのご寄付を募っています.

C. 学校運営費へのご寄付
学校備品や理科実験室教材,図書等購入のため


振込先
みずほ銀行四谷支店
支店番号 : 036
口座番号:普通預金 2232164
(宗教法人カトリックイエズス会)東ティモール聖イグナチオ学院基金

ご寄付くださいました方は下記へご連絡くださいますよう,お願いいたします.

連絡先(現地世話人,責任者)
Pe. Yoshitaka Ura, S.J. (浦 善孝)

Residencia Santo Inacio de Loyola
Taibesi, Cinarate, Dili, Timor Leste P.O.Box 209

tel : +670-7700-5866


聖イグナチオ学院を紹介するHP

「東ティモール聖イグナチオ学院」で検索できます.詳細をご覧いただけます.



2015年2月1日日曜日

主はわたしたちと共にいらっしゃる



今日の福音朗読は,マルコ福音書 1,21-28 でした.本郷教会で御ミサの司式をなさった山本量太郎神父様は,「聖書と典礼」に引用されている福音朗読の最初の文:「イェスは,安息日に[カファルナウムの]会堂に入って教えられ始めた」は,原文と異なっており,重要なことが表現されていない,と御指摘になりました.

原文では,「彼らは,カファルナウムの街に入った.そして,安息日になるや,イェスは会堂にお入りになり,教えられた」と書かれてあります.

「彼ら」は,イェス様と,漁師であったがイェス様に呼ばれてすぐさま従った弟子四人,すなわち,ペトロ,アンドレ,ヤコブ,ヨハネとを指しています.

つまり,イェス様は,福音を説き伝える活動の最初のときから,一人ではなかったのです.弟子たちと一緒であったのです.

そしてそれは,今でもそうです.イェス様は,今も,常に,わたしたちと共にいらっしゃいます.そして,わたしたちは,ペトロ,アンドレ,ヤコブ,ヨハネと同じく,イェス様の弟子として,イェス様につき従っています.

次いで,山本神父様は,今シリア・イラクの国境付近を支配している武力組織に捕らえられた湯川遥菜さんと後藤健二さんに思いを馳せつつ,フランチェスコ教皇の発言を引用なさいました:神の名において戦争をすることはできない.暴力を正当化するために宗教を利用することはできない.

キリスト教も,ユダヤ教も,イスラム教も,神は慈悲深く,愛に満ちた方である,と教えています.神は寛容であり,赦しを与えてくださいます.神の名において暴力を正当化することは,どの宗教においても許されません.

この記事の最後に,今日の御ミサで歌われた聖歌のひとつの歌詞となっていたマタイ福音書の「八つの幸福」を引用したいと思います(フランシスコ会訳):

自分の貧しさを知る人は幸いである.
天の国はその人たちのものである.

悲しむ人は幸いである.
その人たちは慰められる.

柔和な人は幸いである.
その人たちは地を受け継ぐ.

義に飢え渇く人は幸いである.
その人たちは満たされる.

憐み深い人は幸いである.
その人たちは憐みを受ける.

心の清い人は幸いである.
その人たちは神を見る.

平和をもたらす人は幸いである.
その人たちは神の子と呼ばれる.

義のために迫害されている人は幸いである.
天の国はその人たちのものである.