2015年11月20日金曜日

パリ同時多発テロの犠牲者のために祈りましょう.

Paris の悲惨な出来事から一週間がたちました.現地時間で21時半ころのことですから,日本時間では翌日未明になりますが,歴史には1113日付で記録されます.

改めて,すべての犠牲者と被害者,ならびに彼ら彼女らの家族と友人のために祈りましょう.特に,35歳で命を奪われた Hélène Muyal-Leiris と,残された夫 Antoine Leiris および息子 Melvil のために祈りましょう.Antoine は勇敢にも,不当な暴力に対して憎悪で応えることを控え,母を突然失った幼い息子を日常生活において支え続けています.

祈っても何もならないとあなたは思うかもしれません.そう,いわゆる現実のなかに,存在事象の次元に,祈りは何も起こしません.しかし,その「何も起きない」という無こそが,祈りの効果です.祈りは,あなたの生のなかに無をうがちます.「祈る」とは,願い事をすることではなく,無を生きることであり,死を生きることです.それが本当の祈りです.「祈る」とは,無と死を生きることによって永遠の命において神との交わりを生きることです.

主よ,亡くなられた人々に永遠の安らぎを与えてください.そして,彼ら彼女らを絶えざる光で照らしてください.傷つけられた人々を癒してください.喪に悲しむ人々をあなたの慈しみで支えてください.

Amen !

「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」

Antoine Leiris, 20151116日,彼の FB で.

「あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない」

金曜日[20151113日]の晩,あなたたちは,特別な人の命を奪った.わたしの生涯の愛である人,わたしの息子の母親である人の.だが,あなたたちはわたしから憎しみを受け取ることはできない.あなたたちが誰なのか,わたしは知らないし,知りたくもない.あなたたちは死せる魂だ.あなたたちが盲目的に殺しているのは神のためなら,そして,その神は我々を自身の似姿に創ったなら,わたしの妻の体のなかの銃弾ひとつひとつがその神の心を傷つけているだろう.

しかし,否.わたしは,あなたたちに憎悪の贈りものをする気はない.あなたたちは確かにそれを求めたが,しかし,憎しみに対して怒りで応えるなら,今のあなたたちの存りさまを作り出しているのと同じ無知に屈することになるだろう.あなたたちは欲している わたしが恐怖を感ずることを,わたしが同胞市民たちを不信の目で見ることを,わたしが安全のために自由を犠牲にすることを.あなたたちの負けだ.勝負はまだ続いているとしても.

わたしは今朝,彼女を見た.幾日も幾晩も待って,やっと.彼女は,あの金曜日の晩に家を出たときと同じく美しく,わたしが12年以上前に彼女に夢中で恋していたときと同じく美しかった.勿論,わたしは悲しみに打ちひしがれた.あなたたちに小さな勝ちを譲ろう.しかし,それは短時間しか続かないだろう.わたしは知っている 彼女は毎日わたしたちと共におり,そして,あの自由な魂たちの天国でわたしたちは再会するだろう,と.その天国にあなたたちが近づくことは決してない.

わたしの息子とわたしと,二人だけになった.しかし,わたしたちは世界のすべての軍隊よりも強い.それに,あなたたちにかかずらっている時間はもう無い.午睡から目覚めた Melvil のところに行かねばならない.彼は17ヶ月になったばかりだ.彼は,いつものようにおやつを食べる.それから,わたしたちは,いつものように遊ぶ.生涯,この小さな男の子は,幸福かつ自由であることによってあなたたちに恥をかかせることになる.なぜなら,否,あなたたちは彼からも憎しみを受け取ることはできないのだから.

2015年11月1日日曜日

11月2日,死者の日のために.

カトリックでは,毎年112日は死者の日,11月は死者の月と定められています.

1945年の敗戦から70年,改めて,戦争の犠牲者と被害者すべてのために祈りましょう.

第二次世界大戦における日本の戦争責任を否認する歴史修正主義が,今,日本で支配的になっています.

ドイツでは Nazi の支配下で犯された戦争犯罪は今もなお徹底的に裁かれているのに対して,日本では戦争犯罪者たちは靖国神社に神々として祀り上げられ,彼らの罪は否認され,罪として悔いられることもありません.それゆえ,彼らの罪はいつまでたっても赦されることがありません.

神は,わたしたちがまだ罪人であったとき,御子イェス・キリストを世に使わしてくださいました.そして,罪無きイェスは,わたしたちの罪をすべて身に引き受け,十字架上の死により,わたしたち皆を贖ってくださいました.

主イェス・キリストにならって,わたしたちも,世の罪を我が身に引き受け,みづからの罪として悔い,赦しを願いましょう.

靖国神社に祀られている14人の A 級戦犯の罪を含めて,第二次世界大戦で日本政府と日本軍,およびその関係者らが犯した罪をすべて,わたしたちは自分の罪として悔い,赦しを願います.

神よ,慈しみ深くわたしたちをかえりみ,豊かな哀れみによって,わたしたちの罪をお赦しください.

そして,すべての者に和解と平和をお与えください.

Amen !

2015年8月27日木曜日

安倍政権を支配する日本会議の正体 – 政権を覆う皇国思想.

AERA 2015年 831日付記事より:

安倍政権を支配する日本会議の正体 政権を覆う皇国思想.


ジャーナリスト桐島瞬

憲法改正や防衛力強化を掲げる国内最大の保守系団体「日本会議」.安倍内閣の現役閣僚の実に 分の が連なり,政権中枢に深く影を落とす.

2015年 815日,靖国神社参道に設けられたテントには約 600人が詰めかけていた.日本会議が主催する「第 29 回戦没者追悼中央国民集会」.首相補佐官の衛藤晟一氏や自民党政調会長の稲田朋美氏など,国会議員や地方議員の顔も見える.

田久保忠衛会長が挨拶に立ち,前日に安倍晋三首相が発表した戦後 70 年談話について,こう言及した:「まだ東京裁判史観を信奉する人たちが大きな顔をして運動している.安倍談話に 100 % は賛成できないが,要点は村山,小泉談話とは違うということ.(中略)現在完了進行形で『深い反省をしている』と言っていないことに注目すべきだ.安倍さんの時代になり,大きく潮目が変わった」.

会場から大きな拍手が起きた.稲田氏も挨拶に立ち,自民党内に東京裁判を検証する組織の設置を検討中だと明かした.

会員 万 8000 人,政治家もずらり.


集会が終わって田久保会長に話を聞いた.「満州事変を侵略戦争というのは東京裁判のおとぎ話」.「自虐史観はもうやめだ,と安倍さんにはきつく言ってほしかった」.憲法解釈の変更によって安保法制を制定しようとする安倍政権の動きには,こう注文した.「ちょっと姑息.国民投票をやればいい」.

そんな保守思想を持つ日本会議は今,安倍政権にとって無視できない存在だ.

首相が 月,憲法改正の国会発議とその賛否を問う国民投票の時期について,来年夏の参院選後が「常識的だろう」と初めて言及した.これは「参院選での国民投票を強く求める日本会議を抑えるのが目的だった」(自民党議員)という.そもそも体調不良でいったん首相を辞した安倍氏が再登板できたのは,「日本会議が推したから」(民主党の首相経験者)ともいわれる.

日本会議の事務局によると,会員数は 3万 8000人.47 都道府県すべてに本部があり,区市町村には 242 の支部を持つ.

政界への関与も深く,連携する「日本会議国会議員懇談会」(平沼赳夫会長)には,自民党を中心に民主党,次世代の党,維新の党など超党派の 281 人が加盟.安倍首相と麻生太郎副総理は特別顧問を務めている.

日本会議ウォッチャーとして知られる俵義文氏(子どもと教科書全国ネット 21 の事務局長)によれば,第 次安倍内閣の閣僚 20 人のうち 15 人が日本会議国会議員懇談会のメンバーだという.安全保障関連法案について「法的安定性は関係ない」と述べた磯崎陽輔首相補佐官や,安全保障関連法案反対のデモをしている学生団体 SEALDs を「自分中心」とツイッターで批判した武藤貴也衆院議員も名を連ねる.

地方での動きも活発だ.「日本会議地方議員連盟」には,約1700人もの地方議員が加盟している.大阪維新の会の上島一彦大阪府議 (57) は 15 年来の熱心な会員で,「日本は憲法を変え,自分で国を守る覚悟を示さないといけない.もともと日本人の7割は保守.最近ようやく議論の土壌ができてきたと感じる」と話す.

もっとも,濃淡はあるようで,先輩議員に誘われて入会した自民党の 30 代の東京都議は,戸惑い気味に,「大きな方向性には賛同しますが,考えが違うと思ったら抜けることもあり得ます」.

新憲法の制定,防衛力の整備.


そんな議員も抱えつつも,日本会議は強力な政治力を誇る.いったい,どんな組織なのか.俵氏は解説する:「国内最大の右翼勢力.憲法を改正して天皇を元首にした国家体制の構築を目指している組織です.日本会議国会議員懇談会や『日本の前途と歴史教育を考える議員の会』などの議連を通じて保守的政策の実現を目指してきた.第3次安倍内閣では,副大臣と政務官を合わせた約 50 人の高官のうち,割以上がこれらの議連に所属しています」.





日本会議は,基本運動方針として「国民統合の象徴である皇室を尊び,国民同胞感を涵養する」;「我が国本来の国柄に基づく新憲法の制定を推進する」;「国を守る気概を養い,国家の安全を保障するに足る防衛力を整備するとともに,世界の平和に貢献する」など六項目を掲げている.憲法改正,積極的平和主義といった安倍政権の政策に沿う内容ばかりだ.

会議の設立は 1997 年.神社本庁や宗教団体の「生長の家」などが主体となった「日本を守る会」と,元号法制化運動を展開してきた「日本を守る国民会議」が統合してできた.初代会長はワコール創業者の塚本幸一氏.その後,元日本商工会議所会頭の稲葉興作氏,元最高裁長官の三好達氏などが引き継ぎ,今年 月に外交評論家の田久保氏が会長に就いた.

役員には,神社本庁や宗教団体の幹部,大学の名誉教授らが名を連ねるが,キーマンは事務総長の椛島有三(かばしま・ゆうぞう)氏とされる.

事務局などによると,椛島氏は 1945 年生まれで,長崎大学入学後,左翼過激派学生と対峙し,学園正常化運動に立ち上がった.70 年に日本青年協議会を結成し,2005 年に日本協議会が結成されて会長に就いた.生長の家創設者の谷口雅春氏に感化されたともいわれる.

ノンフィクション作家の魚住昭氏は言う:「谷口氏は明治憲法復元を掲げるなど皇国思想の持ち主.その教えを受けた学生たちが 60 年安保の終わり頃に民族主義運動を始めた.そこで全共闘や共産党と対峙して活躍したのが長崎大学の学生だった椛島氏です」.

椛島氏の戦術で脚光を浴びたのは,右派のグループ同士が連携を取りながら勢力を拡大する手法だったという.「日本会議が別動隊やフロント団体を通じて会員を増やす手法は,椛島氏のこのときの成功体験からきています」(魚住氏).

椛島氏の学生時代の思想信条や活動経緯について,事務局は「コメントする立場にない」としているが,日本協議会・日本青年協議会のホームページには足跡が詳細に記述されている.

ウェブメディア「ハーバー・ビジネス・オンライン」で日本会議について連載を執筆する菅野完氏によれば,安倍首相の側近である衛藤首相補佐官も,谷口氏の影響を受けているという.衛藤氏は日本青年協議会の創設メンバーで,委員長経験者.ちなみに,日本会議と日本青年協議会は,同じビルの同じフロアに事務局がある.

女性が女性をただす戦略.


「コアな保守思想を持つ人たちは,他にも安倍内閣の中にいます.女性活躍担当の有村治子氏,国家公安委員会委員長の山谷えり子氏,自民党政調会長の稲田朋美氏もそうです」(菅野氏).

日本会議では,女性が目立つのも特徴だ.男女の性差を否定するジェンダーフリー教育や,選択的夫婦別姓にも反対の立場をとるが,稲田氏など女性の発言も多い.

モンタナ州立大学の山口智美准教授(文化人類学)は,もともと右派や反フェミニズム運動では女性の役割が重要だと指摘して,こう言う:「慰安婦問題にしても,男性が言えば差別的に捉えられる問題も,女性であれば問題にされにくい.だから,女性が女性をただす戦略をとっているのです.日本会議は夫婦別姓や男女共同参画の問題が出てくると,別組織として『日本女性の会』をつくった.改憲に反対するのは女性が多い.だから,女性を取り込もうとしているのです」.

日本会議と関連組織の会員数は,このところ急カーブを描いて増えている.俵氏の集計などによると,国会議員懇談会のメンバーは第 次安倍内閣以降,自民党議員を中心に約 500人が新たに加入.日本会議関連の会員数は,計 10 万人に上るとみられる.

国会議員のメンバーが増えた背景には,小選挙区制の影響があるようだ.「集票力のある組織が減るなか,日本会議はある程度の組織力がある」(魚住氏).「党幹部に逆らうと公認してもらえないから,安倍氏に思想の近い議員が増えた」(俵氏).

ジャーナリストの田原総一朗氏は,安倍政権と日本会議の関係について,こんな見方をする:「日本は戦後,戦争だけはしてはいけないという『悔恨共同体』だった.その中心だった人たちが次々に引退し,強い日本を求める声が出てきた.安倍氏は集団的自衛権を通じて日米同盟の強化を目指しているが,アメリカが一番嫌がるのは歴史修正主義,つまり東京裁判の否定です.日本会議が日本の戦争は間違っていなかったと主張するとしたら,親米総理としてそれは認められない.安倍氏は今後,難しいかじ取りを迫られることになるのではないか」.

安倍政権は自らを支える組織に手足を縛られかねないジレンマを抱えているのだ.

2015年7月5日日曜日

フランチェスコ教皇の最近の twitter から.

フランチェスコ教皇の最近の twitter から:

625
Dans la Confession, Jésus nous accueille avec tous nos péchés, pour nous donner un cœur nouveau, capable d’aimer comme Lui aime.
告解において,イェス様はわたしたちを,わたしたちのすべての罪もろとも迎え入れてくださいます.そして,イェス様のように愛することができる新たな心をわたしたちに授けてくださいます.

627
L’Église est une mère au cœur ouvert, prête à aider chacun, spécialement celui qui peine le plus.
教会は,誰をも受け容れる心の開かれた母です.誰をも助けたい,特に最も苦しんでいる人を助けたい,と思っています.

630
Comme il est beau d’annoncer à tous l’amour de Dieu qui nous sauve et donne sens à notre vie !
わたしたちを救ってくださり,わたしたちの人生に意味を与えてくださる神の愛を皆に告げ知らせるのは,なんとすばらしいことでしょう!

72
Un grand défi : cesser d’abîmer le jardin que Dieu nous a confié pour que tous puissent en jouir.
神は,地球という庭をわたしたちに託してくださいました.それは,皆がそれを享受し得るためです.その庭を傷めることを,わたしたちは止めねばなりません.それこそ,わたしたちが為すべき大きな挑戦です.

74
Ce qui nous donne la vraie liberté et le vrai bonheur, c’est l’amour compatissant du Christ.

本当の自由と本当の幸福をわたしたちに与えてくださるのは,イェスさまの慈しみ深い愛です.

2015年5月29日金曜日

我々は,ほかの人々を神から遠ざけていないだろうか? フランチェスコ教皇の5月28日の説教から.


キリスト教徒には三種類ある.まず,自分とイェスとの関係にのみ関心を持つ人々.彼らのイェスとの関係は,閉鎖的で自己中心的である.彼らは,他者の叫びを聞かない.イェスを必要としている人々の叫びを全く聞かない.そして,教会の声も聞かない.彼らは,耳を塞いだ無関心者たちである.彼らは,人生は自分たちの小さなグループのなかのことだけだと思っている.彼らは自己満足している.イェスと教会による救いと助けを必要としている多数の人々の叫び声は,彼らには聞こえない.彼らはエゴイストである.彼らは,自分たちのために生きており,イェスの声を聴くことができない.

次に,こんな人々もいる:彼らは,助けを求める叫びを聞くが,それを黙らせようとする.主をわずらわさないように子どもたちを主から遠ざけようとした弟子たちと同様である.彼らにとって,主は彼らのものであり,あらゆる人々のためのものではない.彼らは,信仰と救済を必要として叫ぶ人々をイェスから遠ざける.

このグループには,利益追求者たちも属している.彼らは,イェスに近いところにおり,神殿のなかにおり,信心深い様子をしている.しかし,彼らは功利的で,神の家のなかで自分たちの利益のために商売をしている.それゆえ,イェスは彼らを追い払う.彼らは,助けを求める声を聞こうとはせず,自分たちの商売を優先する.彼らは,自分たちのビジネスのために神の民と教会とを利用する.彼らは,人々をイェスから遠ざける利益追求者である.

証しをしないキリスト教徒も,このグループに属する.名ばかりの信者,社交上のキリスト教徒がいる.彼らのこころの内は,キリスト者的ではなく,世間的である.キリスト者を自認しながら世間体のみを大事にして生きている者は,イェスに助けを求める人々をイェスから遠ざける.

厳格主義者も,この第二のグループに属する.彼らは人々の肩にかくも重い荷を負わせるので,イェスは彼らを叱る.マタイ福音書23章全体で,イェスは彼らを非難している.偽善者たちよ,おまえたちは,人々から利益を引き出すだけで,人々を助けない.逆に,人々を遠ざけてしまう.

最後に,第三のグループに属する信徒たちは,人々がイェスに近づくのを助ける.彼らは,信仰と実生活との整合性を証明する.人々が自分たちの魂のために救済と恵みと精神的健康とを求めて叫ぶとき,そのような人々がイェスに近づくのを彼らは手助けする.

わたしは,人々をイェスから遠ざけるキリスト教徒か,近づけるキリスト教徒か?各人が自問するよう,教皇は勧めている.

2015年3月18日水曜日

朝日新聞が2015年2月25日の日本カトリック司教団の平和メッセージについて報道

カトリック,「軍備優先」に危機感戦後70年,日本の司教団がメッセージ

朝日新聞,磯村健太郎,20153180500

日本のカトリック教会が,平和の理念を揺るがす政治のあり方に危機感を強めている.司教たちは戦後70年にあたってメッセージを発表,「軍備優先」の姿勢を批判した.なぜ教会は平和を「祈る」だけでなく,政治について発言するのだろうか.

ローマ・カトリック教会は法王を頂点とするピラミッド型の組織.司教は司祭(いわゆる神父)の上位の聖職者だ.日本での最高責任者である司教団16人によるメッセージは225日付で出された.

そのなかで,「戦後70年をへて,過去の戦争の記憶が遠いものとなるにつれ,日本が行った植民地支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の歴史を書き換え,否定しようとする動きが顕著になってきています」と指摘.さらに,「特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって事実上,憲法9条を変え,海外で武力行使できるようにする今の政治の流れと連動しています」と述べている.

文章作成の過程では,沖縄在住の司教の思いが,例えば次の一文に反映された:「日本の中でとくに深刻な問題は,沖縄が今なお本土とは比較にならないほど多くの基地を押しつけられているばかりか,そこに沖縄県民の民意をまったく無視して新基地建設が進められているということです.ここに表れている軍備優先・人間無視の姿勢は平和を築こうとする努力とは決して相容れません」.

司教団は戦後50年と60年の節目にも平和メッセージを出したが,これほど踏み込んではいない.

発表後,ツイッターでは「宗教家は,政治介入をするな!」,「私からするとサヨク運動家にしか見えませんが」といった書き込みも見られた.

草稿づくりから携わった東京教区の幸田和生補佐司教は「本当は,具体的な政策についてあまり発言したくない気持ちもあります.しかし私たちは『これはおかしい』とはっきり言わなければいけないと感じたのです」.当初は8月に発表する予定だった.「政治の動きがあまりにも早いので危機感を持ち,できるだけ早めに,と判断しました.」

昨年来,プロテスタントを含む日本の宗教団体の多くが,集団的自衛権の行使容認を含む閣議決定に反対や危慎の声明を出してきた.ただ,カトリック教会による厳しい批判はまた別の重みがある.

全世界12億の信者を束ねるローマ法王庁は国家間・民族問の対立や紛争に敏感で,ときに仲介役を買って出る.背景には,二度の世界大戦やナチスドイツによるユダヤ人虐殺などの歴史の教訓がある.宗教的な領域に閉じこもってはいけないとの機運が高まり,1962 - 65年の第二バチカン公会議を経て,世俗社会に深くかかわるようになった.最近では米国とキューバの「和解」に向けて大きな役割を果たした.

それぞれの国の課題に関する基本姿勢は,各司教団に任されている.今回のメッセージは「安倍内閣」を名指しこそしていないが,事実上の政権批判だ.司教団はすでに内容を法王庁に伝えており,19日から法王庁へ定期訪問する際に改めて説明するという.

日本のカトリック教会は終戦まで,他の多くの宗教と同様,戦争遂行に協力した.「日本が武器を取って立ち上がったのは,神の深い配慮に基づいている」と説いた聖職者すらいた.

その反省を踏まえ,司教団を率いる岡田武夫大司教は「状況は緊迫しており,今の政権の動きを非常に憂慮しています.私たちは,人類が歩むべき道にともしびを掲げたい.それは,すべての宗教者がなすべきことではないかと考えます」と語る.

司教団メッセージの全文は,

2015年2月26日木曜日

戦後70年日本カトリック司教団メッセージ: 「平和を実現する人は幸い – 今こそ武力によらない平和を」.

戦後70年日本カトリック司教団メッセージ:「平和を実現する人は幸い – 今こそ武力によらない平和を」.

キリストにおける兄弟姉妹,ならびに平和を願うすべての方々へ,

日本カトリック司教団はこれまで,1995年に『平和への決意,戦後五十年にあたって』,また2005年には『「非暴力による平和への道」 – 今こそ預言者としての役割を』というメッセージを発表してきました.戦後70年を迎える今年,ここに改めて平和への決意を表明することにいたします.

1. 教会は人間のいのちと尊厳に関する問題に沈黙できない.

カトリック教会にとって今年は,1962年から1965年にかけて行われた第二バチカン公会議の閉幕から50年という記念すべき年にもあたります.二十世紀の前半,ヨーロッパを中心としたキリスト教会は,二つの世界大戦やナチスドイツによるユダヤ人の大量虐殺などを経験しました.これらの悲劇の反省から教会は,いわゆる宗教的な領域に閉じこもるのではなく,人類の問題を自分の問題として受け止めなければならないと自覚するようになりました.第二バチカン公会議の終わりに発表された『現代世界憲章』の冒頭には,その自覚が次のような文章ではっきりと示されています.

「現代の人々の喜びと希望,苦悩と不安,とくに貧しい人々とすべての苦しんでいる人々のものは,キリストの弟子たちの喜びと希望,苦悩と不安でもある.真に人間的なことがらで,キリストの弟子たちの心に響かないものは何もない」.

第二バチカン公会議後のカトリック教会は,フランシスコ現教皇にいたるまで,人間のいのちと尊厳の問題,とくに抑圧された人や排除された人の問題に真剣に,積極的に向き合おうとしています.

2. 戦争放棄への決意.

1945年までの日本の朝鮮半島などに対する植民地支配,中国や他のアジアの国々に対する侵略行為はアジアの人々に大きな苦しみと犠牲をもたらしました.また,日本人にとっても第二次世界大戦は悲惨な体験でした.1945310日の東京大空襲をはじめ,日本の多くの都市への大規模な空爆がありました.沖縄における地上戦によって日本や外国の兵士だけでなく,多数の民間人が犠牲になりました.そして86日広島への原爆投下と89日長崎への原爆投下.これらの体験から平和への渇望が生まれ,主権在民,戦争放棄,基本的人権の尊重を基調とする日本国憲法が公布されました(1946年).日本はこの平和憲法をもとに戦後70年,アジアの諸国との信頼・友好関係を築き,発展させたいと願って歩んで来たのです.

一方,世界のカトリック教会では,東西冷戦,ベルリンの壁崩壊などの時代を背景に,軍拡競争や武力による紛争解決に対して反対する姿勢を次第に鮮明にしてきました.

ヨハネ二十三世教皇は回勅『地上の平和』において「原子力の時代において,戦争が侵害された権利回復の手段になるとはまったく考えられません」と述べています.第二バチカン公会議の『現代世界憲章』は,軍拡競争に反対し,軍事力に頼らない平和を強く求めました.1981年,ヨハネ・パウロ二世教皇が広島で語った平和アピールのことば,「戦争は人間のしわざです.戦争は人間の生命の破壊です.戦争は死です」にも,はっきりとした戦争に対する拒否が示されています.

以上の歴史的経緯を踏まえるならば,わたしたち日本司教団が今,日本国憲法の不戦の理念を支持し,尊重するのは当然のことです.戦争放棄は,キリスト者にとってキリストの福音そのものからの要請であり,宗教者としていのちを尊重する立場からの切なる願いであり,人類全体にとっての手放すことのできない理想なのです.

3. 日本の教会の平和に対する使命.

日本カトリック司教団は,特別に平和のために働く使命を自覚しています.それは何らかの政治的イデオロギーに基づく姿勢ではありません.わたしたちは政治の問題としてではなく,人間の問題として,平和を訴え続けます.この使命の自覚は,もちろん日本が広島,長崎で核兵器の惨禍を経験したことにもよりますが,それだけではなく戦前・戦中に日本の教会がとった姿勢に対する深い反省から生まれてきたものでもあります.

1986926日,東京で開催されたアジア司教協議会連盟総会のミサにおいて,白柳誠一東京大司教(当時)は次のように述べました:「わたしたち日本の司教は,日本人としても,日本の教会の一員としても,日本が第二次世界大戦中にもたらした悲劇について,神とアジア・太平洋地域の兄弟たちにゆるしを願うものであります.わたしたちは,この戦争に関わったものとして,アジア・太平洋地域の二千万を越える人々の死に責任をもっています.さらに,この地域の人々の生活や文化などの上に今も痛々しい傷を残していることについて深く反省します」.

これは一個人としてのことばではなく,司教協議会会長として司教団の総意を代表して述べたことばでした.さらに日本司教団は戦後50年と60年にあたっての平和メッセージの中で,戦前・戦中 の教会の戦争責任を反省し,その上に立って平和への決意を表明しています.

4. 歴史認識と集団的自衛権行使容認などの問題.

戦後70年をへて,過去の戦争の記憶が遠いものとなるにつれ,日本が行った植民地支配や侵略戦争の中での人道に反する罪の歴史を書き換え,否定しようとする動きが顕著になってきています.そして,それは特定秘密保護法や集団的自衛権の行使容認によって事実上,憲法9条を変え,海外で武力行使できるようにする今の政治の流れと連動しています.他方,日本だけでなく,日本の周辺各国の政府の中にもナショナリズム強調の動きがあることにわたしたちは懸念を覚えずにはいられません.周囲の国と国との間に緊張がある中で,自衛権を理由に各国が軍備を増強させるよりも,関係改善のための粘り強い対話と交渉をすることこそが,この地域の安定のために必要なのです.

また日本の中でとくに深刻な問題は,沖縄が今なお本土とは比較にならないほど多くの基地を押し つけられているばかりか,そこに沖縄県民の民意をまったく無視して新基地建設が進められているという ことです.ここに表れている軍備優先・人間無視の姿勢は平和を築こうとする努力とは決して相容れません.

5. 今の世界情勢の深刻な危機の中で.

今,世界を見渡せば,各地で軍事的な対立やテロの悲劇が繰り返されています.国家間,民族間の対立,宗教の名を借りた紛争が激しくなり,対話を不可能と感じさせるような状況が世界各地に広がっています.その中で数多くの人々,とくに女性や子ども,少数民族や宗教的マイノリティーの人々のいのちが脅かされ,実際にいのちが奪われています.世界各地で続くこのような惨状について,フランシスコ教皇は「第三次大戦」という人もいるだろうとの懸念を表明し,過ちを繰り返さないようにといさめました.この世界は,結局のところ,力がものをいう世界なのかと疑わざるをえないような危機的状況に直面しています.人間性を尊重する理性はどこへ行ってしまったのでしょうか.暴力を押さえ込むために新たな暴力を用いるようなやり方を繰り返していては,人類全体が破滅に向かうだけです.

世界はグローバル化された企業や金融システムの力に支配されています.その中で格差は広がり続け,貧しい人々が排除されています.人間の経済活動は気候変動や生物多様性の喪失を引き起こすまでになっています.平和の実現のためには,このような状況を変えること,世界の貧困や環境の問題,格差と排除の問題に取り組むことが不可欠です.わたしたち一人ひとりにも地球規模の問題に対する無関心を乗り越え,自分の生活を変えることが求められています.わたしたちにできることは,すべての問題を一気に解決しようとせずに,忍耐をもって平和と相互理解のための地道な努力を積み重ねることです.

おわりに.

もう一度,ヨハネ・パウロ二世教皇が広島で語った『平和アピール』のことばを思い起こします:

「目標は,つねに平和でなければなりません.すべてをさしおいて,平和が追求され,平和が保持されねばなりません.過去の過ち,暴力と破壊とに満ちた過去の過ちを,繰り返してはなりません.険しく困難ではありますが,平和への道を歩もうではありませんか.その道こそが,人間の尊厳を尊厳たらしめるものであり,人間の運命をまっとうさせるものであります.平和への道のみが,平等,正義,隣人愛を遠くの夢ではなく,現実のものとする道なのです」.

わたしたちは「平和を実現する人は幸い」(マタイ 5,9)というイエス・キリストのことばにも励まされます.戦後70年,第二バチカン公会議閉幕50年にあたり,平和を求め,平和のために働く決意を新たにしましょう.わたしたち日本のカトリック教会は小さな存在ですが,諸教派のキリスト者とともに,諸宗教の信仰 者とともに,さらに全世界の平和を願うすべての人とともに,平和を実現するために働き続けることを改めて決意します.

2015225
日本カトリック司教団


2015年2月21日土曜日

聖イグナチオ学院基金への御寄付のお願い

今月8日,東京カテドラルで行われた主日の御ミサは,主任司祭の山本量太郎神父様と,イエズス会のペトロ浦善孝神父様との共同司式により行われました.

浦神父様は,イエズス会から東ティモールへ派遣されて,独立から間もないがゆえに様々な制度上の問題をかかえたその小さな貧しい国で,子どもたちの教育に当たっています.首都ディリ近郊に創られた聖イグナチオ学院で教えていらっしゃいます.

御ミサのなかで浦神父様は当地の御苦労の多い状況と,そのようななかでも学習意欲に燃える子どもたちと,子どもたちを助ける教員たちについて,お話してくださいました.

東ティモールが抱える諸問題は日本ではほとんど知られていませんが,当地の子どもたちの教育を支援するために聖イグナチオ学院基金が設立されています.御賛同いただけます方々の御寄付をお願い申し上げます,と浦神父様はおっしゃっています.


浦神父様と,東ティモールの首都ディリ近郊にある聖イグナチオ学院の中学一年生たち



2013年11月に上智大学で行われた講演会の案内から



以下,浦神父様が作成なさったパンフレット:「東ティモールのふたつの新しい学校への御協力のお願い」の文面を掲載します:

Colégio Santo Inácio de Loiola : 聖イグナチオ・デ・ロヨラ中学高等学校(2013115日開校)Instituto São João de Brito : 聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学4年制2016年開校予定

東テイモールの二つの新しい学校へのご協力のお願い

イエズス会カトリック司祭,聖イグナチオ学院基金現地世話人
ペトロ 浦 善孝

カトリック教会の男子修道会であるイエズス会は,東ティモールに二つの新しい学校を設立する計画があります.

すでに,聖イグナチオ・デ・ロヨラ中学高等学校(聖イグナチオ学院) を 2013年 l月に開校いたしました.続いて,よく準備された高等学校の教員養成を目的とした聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学を 2016年に開校する予定です.

2002年にインドネシアより独立した東ティモールは,今なおアジア最貧国の一つです.2012年末に,これまで当国の運営を支えていた国連が撤退しました.今後は自分たちで国づくりが進められてゆくことになりますが,とりわけ教育は重要な役割を果たすと思われます.

そこで,二つの学校とそこで学ぶ生徒のために「聖イグナチオ学院基金」を設立いたしました.

これらの学校は学費を高くすることができず,建築・運営費と奨学金の大半をご寄付や設立母体のカトリック・イエズス会を通してのご支援でまかなっているのが現状です.

私はイエズス会司祭として,同会を設立母体とする上智福岡中学高等学校(泰星学園) や六甲中学高等学校で働いて参りましたが,2012年より東ティモールに派遣され,これら二つの学校で働いています.

したがって,現地で私がこの聖イグナチオ学院基金の運営責任を負います.趣旨をご理解いただき,ご協力を賜れますよう,お願い申し上げます.


聖イグナチオ学院基金ご協力のお願い


東ティモールについて


カトリック・イエズス会は,中国,アフリカ,ミャンマ一,JRS(イエズス会難民サービス)等における奉仕活動とならんで,東ティモールでの活動も優先課題のひとつとしています.

東ティモールは,オーストラリアの北に位置する人口約120万人,岩手県とほぼ同じ面積の,20025月に独立した小国です.

同国は16世紀半ばからのポルトガルの植民地時代と,第二次世界大戦中の3年間の日本軍による占領時代を経て,1975年のポルトガル撤退後,1976年にインドネシアに併合されました.すでに独立の機運がありましたが,インドネシア統治時代には同化政策がとられました.

その後国連の仲介により,インドネシア政府とポルトガル政府の合意のもと,1999年にインドネシアからの分離独立を諮る住民投票が実施された結果,東ティモールの独立が決まりました.

しかし,インドネシア軍撤退の際には,破壊活動や強制的な西ティモールへの住民移住が行われました.そのために1975年以降,多くの難民と20万人近い死者,行方不明者が発生したといわれています.

21世紀初の独立国となった東ティモールは,政情は安定してきましたが,住民の生活はなかなか向上しないのが実情です.

このような状況の中で,若者(2010年の時点で,19歳以下の若者が人口全体の 52.4% を占めています)と社会のために質の高い中等教育が待望されています.


聖イグナチオ学院基金設立経緯


20098月に福岡で6日間にわたって開催された東アジア太平洋地区のイエズス会学校ワークショップでは,東ティモールの新しい学校設立を各国のイエズス会学校がいかに支援するかということがテーマとなりました.

そのワークショップの中で,日本からの会議参加者(イエズス会四校と言われる,栄光学園中学高等学校,六甲中学高等学校,広島学院中学高等学校,上智福岡中学高等学校(泰星学園)の理事長,校長とイエズス会教育推進の担当教員)たちは,日本の四つのイエズス会学校は各校で募金活動をして東ティモールの新しい学校の生徒たちに奨学金を送ろうというアイデアを提案し,実現へ向けて動き始めました.

この運動には,「人から人へ」 顔の見える交流にしたいとの思いが込められています.同時に,私たちも東ティモールの人びととの交流から多くを学ぶことができるだろう,ということも考えました.

これが「聖イグナチオ学院基金」設立の発端です.

しかしながら,世界最貧困の一つに数えられる東ティモールとは容易に連絡が取れず,また新しい学校設立の進捗状況や現地の社会情勢も不確かで,誰に送金すれば確実に支援が生徒のために使われるかということもはっきりしない状況が続きました.そこで,20112月に一人のイエズス会学校教員が現地視察のために派遣され現状を視察しました.

新しい学校設立に先立ち,東ティモールのイエズス会は20年ほど前からディリ大司教区より聖ヨゼフ学園(高等学校,2013年閉校)を委託され運営に携わっていました.近年になって,ディリ大司教区が聖ヨゼフ学園の土地にカトリック大学を設立することになり,それに合わせて当地のイエズス会は独自の新しい学校を設立しようという計画を立案し,土地購入や教員養成等の準備を開始しました.

201112月をもって聖ヨゼフ学園の運営が当地の教会に返還されることが決定されたことに伴い,イエズス会東アジア太平洋地区協議会は,イエズス会が運営する新しい中学高等学校を2013年に開校することを決定しました.


聖イグナチオ学院の今


すでに聖イグナチオ学院は 20131月に開校しており,現在中学1年生から中学3年生まで 271名の生徒が在学しています.

2016年には引き続き高校を開校いたします.

また隣接地には,高等学校教員を養成するための聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学の設立準備が進められています.この教育大学はオーストラリア・カトリック大学と提携し,単位も認められる予定で,東ティモール政府の設立認可をすでに得ており,高校と同じく2016年開校を目指しています.

政府から提供された土地も含め,ふたつの学校のために12ヘクタールあります.両校の土地取得と校舎建設費の総予算は約14億円が見込まれていますが,これらはイエズス会の各管区,様々な援助組織や篤志家の方々からの援助でまかなわれつつあります.

設計と建設の会社,建築資材と熟練労働者のほぼ全てを海外に頼り,同国では自国通貨がなく米ドルを使用しているため,建設費が高くなっています.

その他に学校運営経費も必要ですが,私がお世話をさせてただいている「聖イグナチオ学院基金」は,奨学金支給,教科書購入,備品文房具購入,図書館整備,教員研修など日々の学校運営に必要な教育環境(ソフト面)を整えるために用いられています.

このコンテキストで,高校開校を控え理科実験室を作るプロジェクトを始めたところです.

私はこの学校でadministradór と言われる副校長のような職を勤めながら,宗教・道徳科の授業を担当し,図書館設立運営や奨学金業務に携わっています.そして日曜日には,山里や海辺のチャペルにでかけミサを捧げています.

2014年,学校の収入(1と中2の生徒170名):
学費収入は総収入の20%.
2014年総収入 $ 154,756.81
(学費収入 $ 30,980.00, イエズス会からの補助 $ 103,008.35, 政府からの補助 $ 300.00, 寄付金 $ 11,735.95, 前年度からの繰越 $ 826.81, 等)

2014年,学校の支出(1と中2の生徒170名のため):
2014年総支出 $ 154,237.21
(給与 $ 78,598.33, 生徒活動費 $ 8,748.65, 家具・図書教科書費 $ 16,697.95, 事務文具費 $ 5,782.50, 自動車維持費 $ 7,382.45, 建物維持管理費 $ 4,819.40, 等)

2015年の学費(学費を高くすると生徒が入学できなくなるので低くしています):
2と中3の生徒の年間学費は 172 USドル(授業料 $ 110 + 諸経費),三回分割で納入
新中1の生徒の年間学費は 212 USドル(授業料 $ 130 + 制服・体操服+諸経費),三回分割で納入


通学してくる生徒の様子


聖イグナチオ学院は首都ディリの西 18 km に位置する海に面したリキサ県ウルメラ村カサイ集落にあり,学校周辺やディリから生徒が通学してきます.

学校所在地のウルメラ村は半農半漁の寒村で,私はこの村に住んでいます.この村では生計を立てるために 80 % 以上の家庭がごく零細な農業に従事しており,トウモロコシやキャッサバなどを育て,鶏や豚,山羊や牛を飼育しています.現金収入の多くを薪を売ることで得ています.また,わずかの家庭が小舟を持っていて,漁をしています.

いずれにせよ,この地域の平均的な家族の人数は6人で,大部分の家族は一人一日 2 USドル以下の収入しかなく,日々の生活必需品にも事欠いています.

そして多くの住居にはトイレがなく,村には診療所のようなものもありません.公共交通機関も発達しておらず,ミクロレットというバンの超小型乗合バスを利用する生徒もいます.

放課後,地元から通ってくる生徒たちは,家に帰ると,水汲みや薪を用いる炊事の手伝い,兄弟姉妹の世話,家畜の餌やりなど家事を手伝っているようです.

首都ディリからやってくる生徒たちは,トラックの荷台に立ち乗りでやってきます.生徒の親たちが自分たちで話し合いこのような通学形態になりましたが,何度か警察に止められ,「トラックは動物を運ぶもので人間を運ぶものではない」と言われたこともありました.それ以来,校長先生は理由を書いた手紙をトラックの運転手に託しています.

開校当初は,運行ルートにいる子どもたちがトラックに乗っている生徒に向かつて石を投げたりしましたが,粁余曲折があり今はその子たちも聖イグナチオ学院に入学したいといっており,手を振ってくれます.

ディリの街中を歩くと時折路地から「先生!」と声がかかり,こんなところからも生徒が通ってきているのかと気づかされることがあります.

入学試験の一環として入学オリエンテーションを兼ねた「集団活動」(三次試験)が行われますが,一昨年,参加費 10 USドルを払えなくて欠席した生徒がいました.家にお金がなく,おじいさんに頼んだところ,女の子は学校に行かなくともよいと言われたそうです.校長先生は,彼女と彼女の親に,「集団活動は欠席したけれども,それはいいから,奨学金制度があるので申請して学校に来なさい」と伝えました.

皆様からいただいたご寄付はこのように使わせていただいています.

この経験から,次の入試より学校所在地の村の受験生には三次試験の受験料を免除するとともに,奨学金制度があることを村人に周知するよう努めています.


聖イグナチオ学院と聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学のミッション


毎年入学してくる中学1年生の年齢は,11-14才で,日本の中1 から中3にあたる年齢です.様々な理由で教育を継続して受けられなかったり,公立中学校をやめて再入学してくる生徒もいます.生徒の中には独立後の混乱のことを覚えていたり,難民生活を送った生徒もいます.

中学校純就学率が25%, 高校純就学率が18% (2010) のこの国では,中学高校に進学できるのは経済的に少しだけ恵まれた家庭の子どもたちです.しかし,より貧しい家庭の子どもたちが聖イグナチオ学院で学ぶことができるように実際的配慮をしています.奨学金制度もそうですが,田舎からの受験生の合格基準点も下げています.

高校卒業者が必ずしも就職できない中で,また貧しい子どもたちと経済的に少しだけ恵まれた子どもたちが一緒に机を並べて学ぶ中で,学校教育はどのような役割を果たし,意義があるのかと問い,その回答を見出してゆくことも私たちの学校の使命だと考えています.

学校で勉強し,共同生活をすることを通して,彼ら,彼女たちが互いに自分の尊厳や自尊心,人間性を高め,ひいてはよりよい社会を築くための貢献ができる生徒を育てることができればと考えています.

世界銀行の報告によれは,紛争後の低開発途上国において中等教育は等閑にされがちであることが指摘されています (Reshaping the Future, 2005). そのために聖イグナチオ学院が東ティモールの中等教育のモデル・スクールとなることを目指していること,聖ジョアン・デ・ブリトー教育大学が高等学校の教員養成を目的としていることは,的を得た教育プロジェクトだと確信しています.聖イグナチオ学院は,普通科(リベラノレ・アーツ)教育を行っています.


ご協力のお願い


2012年に東ティモールに赴任し,現地で働き始めると,当初の見込みとは異なり,多岐にわたる支援が必要なことが分かつて参りました.また,支援を受ける側の要望も解って参りました.

この国の貧しく生活している子どもたちに良い教育を提供するため,聖イグナチオ学院基金を現地の要請に合致するように修正しながら運営して行きたい,と考えています.

A. 奨学金プログラム
経済的に子どもたちの就学を支援するプログラムです.一口30,000円としてご協力をいただいています.支給される奨学金には,授業料,制服・体操服代,諸経費,そして学校運営補助費が含まれています.すでに現在6名の生徒に支給しており,3名の受給希望者もいます.現在約20人の生徒に6年間奨学金を支給する資金があります.

B. 校舎建設費へのご寄付
現在,図書館建築のため,ご協力を募っています.工事は2021年まで続く予定です.多少にかかわらず,ご協力いただければ幸いです.(参考.教室一つの建築費が850万円程度,図書館の建設費が4500万円程度)

C. 学校運営費や教材費へのご寄付
教職員の給与はイエズス会からの援助と政府からの補助で賄っているので,それ以外の教員研修費,学校備品や理科実験室教材,教科書や図書購入のための援助を必要としています.



イエズス会学校とは? 力トリック学校とは?


イエズス会学校とは,1540年ローマで聖イグナチオ・デ・ロヨラによって創立されたカトリック教会の男子修道会が設立母体となり,その精神を受け継いで教育を実践している学校です.

日本にキリスト教を伝えた聖フランシスコ・ザビエルは,聖イグナチオがイエズス会を設立した時の同士の一人でした.

日本では上智大学やエリザベト音大をはじめ,栄光学園,六甲学院,広島学院,上智福岡中高がイエズス会学校です.

私立学校としてのカトリック学校は,たとえば日本では,公立学校や他の私立学校と同じように学習指導要領に則った教育をキリスト教的価値観にもとづいて行っています.イエズス会学校もカトリック学校の一つですが,カトリック教会がいうカトリック学校は,特にすべての人びとが生きてゆくために必要な教育を受ける権利を保障することを第一の目的としています.

近年,カトリック教会は,カトリック学校が「一番弱い者たちに配慮する学校」であることを求めています.そのため今日,カトリック学校は世界的規模で,あらゆる宗教を信じる若者に「技術的,科学的能力によって特徴づけられる社会で生きてゆくために,必要な基本的知識を獲得するための手段」を提供できるように努めています.

実際にこの目的を達成するために,「世界人権宣言」や「児童権利宣言」の実現のために努力し,また UNESCO などの国際機関とも連携するようにとカトリック教会は広く呼びかけており,イエズス会学校もそれに応じる教育を世界各地で実践しようとしています.

イエズス会学校は,Men for others (他者のために生きる人)を育成します.

以上の経緯を背景として,聖イグナチオ学院基金を設立し現在に至っております.

この趣旨にご賛問いただけるすべての皆様に,これらの学校で生徒が学ぶことができるようにご寄付のご協力をお願いいたします.

日本圏内におきましでも東日本大震災の復興支援や自然災害の復旧など,私共が志を向けなければならない場所はございますが,あわせて国境や民族の境界線を越えて海外にいる学ぶために支援を必要としている若者たちのためにも関心を向けていただければ幸いです.

私たちは物質的に豊かな社会の中で,恵まれた環境にあります.今度は,私たちが貧しく様々な困難に直面している国の若者の将来を支援できればと思います.

ブログ「東ティモールワニ通信」で,聖イグナチオ学院の学校生活やウルメラ村の様子をご覧いただけます.



聖イクナチオ学院基金プログラム


A. 奨学金プログラム,一口3万円(生徒1人分の年間経費)
ひとり分の授業料と制服・体操服,年間諸経費,加えて学校運営費補助.

B. 学校校舎建設費へのご寄付
現在,図書館建築のためのご寄付を募っています.

C. 学校運営費へのご寄付
学校備品や理科実験室教材,図書等購入のため


振込先
みずほ銀行四谷支店
支店番号 : 036
口座番号:普通預金 2232164
(宗教法人カトリックイエズス会)東ティモール聖イグナチオ学院基金

ご寄付くださいました方は下記へご連絡くださいますよう,お願いいたします.

連絡先(現地世話人,責任者)
Pe. Yoshitaka Ura, S.J. (浦 善孝)

Residencia Santo Inacio de Loyola
Taibesi, Cinarate, Dili, Timor Leste P.O.Box 209

tel : +670-7700-5866


聖イグナチオ学院を紹介するHP

「東ティモール聖イグナチオ学院」で検索できます.詳細をご覧いただけます.



2015年2月1日日曜日

主はわたしたちと共にいらっしゃる



今日の福音朗読は,マルコ福音書 1,21-28 でした.本郷教会で御ミサの司式をなさった山本量太郎神父様は,「聖書と典礼」に引用されている福音朗読の最初の文:「イェスは,安息日に[カファルナウムの]会堂に入って教えられ始めた」は,原文と異なっており,重要なことが表現されていない,と御指摘になりました.

原文では,「彼らは,カファルナウムの街に入った.そして,安息日になるや,イェスは会堂にお入りになり,教えられた」と書かれてあります.

「彼ら」は,イェス様と,漁師であったがイェス様に呼ばれてすぐさま従った弟子四人,すなわち,ペトロ,アンドレ,ヤコブ,ヨハネとを指しています.

つまり,イェス様は,福音を説き伝える活動の最初のときから,一人ではなかったのです.弟子たちと一緒であったのです.

そしてそれは,今でもそうです.イェス様は,今も,常に,わたしたちと共にいらっしゃいます.そして,わたしたちは,ペトロ,アンドレ,ヤコブ,ヨハネと同じく,イェス様の弟子として,イェス様につき従っています.

次いで,山本神父様は,今シリア・イラクの国境付近を支配している武力組織に捕らえられた湯川遥菜さんと後藤健二さんに思いを馳せつつ,フランチェスコ教皇の発言を引用なさいました:神の名において戦争をすることはできない.暴力を正当化するために宗教を利用することはできない.

キリスト教も,ユダヤ教も,イスラム教も,神は慈悲深く,愛に満ちた方である,と教えています.神は寛容であり,赦しを与えてくださいます.神の名において暴力を正当化することは,どの宗教においても許されません.

この記事の最後に,今日の御ミサで歌われた聖歌のひとつの歌詞となっていたマタイ福音書の「八つの幸福」を引用したいと思います(フランシスコ会訳):

自分の貧しさを知る人は幸いである.
天の国はその人たちのものである.

悲しむ人は幸いである.
その人たちは慰められる.

柔和な人は幸いである.
その人たちは地を受け継ぐ.

義に飢え渇く人は幸いである.
その人たちは満たされる.

憐み深い人は幸いである.
その人たちは憐みを受ける.

心の清い人は幸いである.
その人たちは神を見る.

平和をもたらす人は幸いである.
その人たちは神の子と呼ばれる.

義のために迫害されている人は幸いである.
天の国はその人たちのものである.

2015年1月24日土曜日

フランチェスコ教皇はおっしゃった:告解は,裁きではなく,神との出会いです.

123日金曜日朝,Casa Santa Marta の礼拝堂での説教において,フランチェスコ教皇は,和解の秘跡と神の慈しみのテーマに立ち返った.

教皇はおっしゃった:告解は,裁きではなく,神との出会いです.神の慈しみを求めてやまない者たちの罪を,神は赦してくださいます.

「ヘブライ人への手紙」を読み解きながら,教皇は,使徒パウロが論じている「選ばれた民との神の契約」のテーマに立ち返り,そして,赦しのテーマへ考察を広げた.

教皇は強調した:「和解させる」ことは神の御業(みわざ)です.和解させる神は,人間と新たな契約を結び直すためにイェス様を世にお使わしになりました.その新たな契約の基礎は,赦しです.

赦しには,幾つかの特徴があります.まず,神は常に赦します.赦すことを決してやめません.「七回赦すべきですか?」と尋ねたペトロに,主は「七の七十倍赦しなさい」とお答えになりました.神はどこまで赦してくださるのかについて,人間は疑います.しかし,悔いて,赦しを求めれば,十分です.代価を支払う必要はありません.なぜなら,キリストがわたしたちのために贖いの代価を既に支払ってくださったからです.

機械的な告解はいけません.

聖書の譬え話のなかで,悔いた放蕩息子は,父に言うべきことを予め準備して行きました.しかし父は,息子にほとんど何も言わさずに,両腕を広げて彼を抱きしめただけでした.神も同様です.神は,わたしたちが罪を告白しようと話し終える前にでも,赦しの喜びを感じさせてくださいます.

和解のもうひとつの特徴は,赦すとき神は祝宴を開いてわたしたちを迎えてくださる,ということです.なぜなら,神にとっては,わたしたちと出会うことが大切だからです.

教皇は司祭たちに,告解所に入るときには良心に問うてみるよう勧めました:「わたしは,すべてを赦す準備ができているか?この人の罪を忘れる準備ができているか?」

告解を機械的なもの,形式的なものにしてはなりません.告解は裁きではありません.クリーニング屋で染み抜きをしてもらうようなものでもありません.告解は,和解させてくださる御父との出会いです.


2015年1月20日火曜日

東京カリタスの家のためのチャリティーコンサート: 復活祭に向けて,ギターとヴァイオリンの音色

2015年3月7日(土曜日)14時から,カトリック本郷教会で,東京カリタスの家のためのチャリティーコンサートが開かれます.



復活祭に向けて
ギターとヴァイオリンの音色

プログラム:
愛のあいさつ (エルガー)
G線上のアリア (バッハ)
タイス瞑想曲 (マスネ)
夢のあとに (フォーレ)
愛のかなしみ (クライスラー)
アルハンブラ宮殿の思い出 (タレガ)
アヴェ・ヴェルム・コルプス (モーツァルト)
その他

ヴァイオリン: 硲 美穂子
ギター: 竹内 永和

2015年3月7日(土曜日) 14:00 開演 (13:30 開場)
会場: カトリック本郷教会
アクセス: JR山手線・東京メトロ南北線「駒込駅」より徒歩7分

ティケット: 全席自由席
前売 3000 円
当日 3500 円

お問い合わせ: 公益財団法人 東京力リタスの家
〒112-0014 東京都 文京区 関口 3-16-15
tel : 03-3943-1726 (10時から16時,日曜祭日を除く毎日)
fax : 03-3946-9156


出演者プロフィール:

硲 美穂子 (はざま・みほこ)
東京芸術大学音楽学部器楽科卒業,同大学院修士課程修了.1991年モーツアルト・コンテスト,1992年フランス音楽コンクールで受賞.2000年,モーツアルトのソナタを収録した武久源造氏と共演のCD「鍵盤音楽の領域Vol.6」をリリース.レコード芸術誌にて特選盤となる.2001年よりジャズベーシスト中山英二氏とジャンルを超えた活動を開始し,2002年,アルバム「ハートストリングス」をリリース.2003年,ギタリスト竹内永和氏とデュオ活動を始め,アルバム「葡萄の丘から:ファンタジア・エスパニョーラ」(2004年),「エキゾティック」(2008年),「デジャヴ」(2010年),「ダンツァ」(2013年)をリリース.2005年,フィレンツェ室内菅弦楽団と共演.現地でのコンサート活動のほか,地元での活動としてフェルナンブーココンサートを主催.2011年より銀座王子ホールにて岡田知子氏と「しあわせはこぶコンサート」シリーズ開始.

竹内 永和 (たけうち・のりやす)
東京,新宿生まれ.早稲田大学第一文学部日本文学科を卒業.1980年,第5回ギター音楽大賞受賞(日本ギタリスト会議主催),第7回ギターコンクール第1位(読売新聞社,よみうりテレビ,日本ギター協会主催).1982年,第25回東京国際ギターコンクール第3位(日本ギター連盟主催).レオ・ブローウェル,ホセ・ルイス・ゴンザレス,オスカー・ギリアのマスタークラスに参加し研鑽を積み,コンサート活動を開始.アレンジャーとしても,現代ギター誌に連載開始.現在,ソ口,室内楽等,様々な分野で活躍中.ギターを故石月一匡,竹藤嘉の各氏に師事.

公益財団法人東京カリタスの家の紹介:

「東京カリタスの家」は1969年に発足し,「キリスト教精神」に基づいて「家族福祉」の実践活動を「ボランティア」の手によって行うということを旗印にして歩き続けてまいりました.東京およびその周地域の福祉向上をめざして,問題に直面している方々への福祉サービスを行っております.
現在この法人は四つの事業とその活動を支える賛助会があります.
「家族福祉相談室」は,ボランティアによる福祉活動の原点であり,様々な困難を抱える方々への個別相談や生活支援とグループケアを行っています.
「放課後デイサービス・カリタス翼」では,おもに発達上の困難のある子ども達とその家族が地域の中で自分らしく活き活きと生活していけることをめざし,放課後や夏休みを安心して過ごせる場を提供していきます.
「地域活動支援センター・みんなの部屋」は,精神障害や心の病気がある方々をサポートするため,作業やグループ作業を通して社会性や人間性の向上を目指しています.
「ボランティアビューロー」は,何らかの支援を求める方々とボランティア活動を望む方々との出会いを設定するとともに,ボランティアの開発と養成,活動支援を行っています.
これらの活動を可能にしているのが,皆さまからの寄付金が寄せられる賛助会です.
このような活動を行う私ども東京カリタスの家に温かいご支援をいただければ,幸いに存じます.