2014年7月3日木曜日

なぜ日本ではカトリックが広まらないのだろう?

7月1日火曜日の朝,定期的な牛久入管収容所訪問へ行く途中,兄弟 François とおしゃべりしながら,話題は Facebook に出ていた結婚式場のことになりました.その建物を「なんちゃって教会」と呼んでる人がいました.ちょっと見には本物の教会に見えます.

日本の一般の人々にとってキリスト教と言うと,クリスマスと結婚式だけでしょう.復活祭はほとんど話題になりません.Halloween はキリスト教の行事ではありません.少なくとも,カトリックの行事ではありません.あとは,長崎の原爆被災の記念日に大浦天主堂で祈る人々の姿がテレビで報じられるぐらいでしょうか.

江戸時代の間はさておき,明治の開国から150年近くたとうとしているのに,また,大戦中は事実上のキリスト教弾圧がありましたが,敗戦と第二の開国から来年で70年になるのに,なぜキリスト教は,特にカトリックは,信仰の実践としてかくも日本で広まらないのでしょうか?カトリック信徒は日本の総人口の 0.3-0.4 % だと言われています.横ばい状態だそうです.

クリスマスと結婚式は,商業主義によってキリスト教の極めて限られた側面のイメージが宣伝されたことによって,社会に広まり,定着しました.美しいクリスマスツリー,楽しいプレゼント,輝かしいウエディングドレス,おごそかな儀式... 

イメージの威力は絶大です.今は何でもイメージにしないと,言葉だけでは相手にしてもらえません.福音を説くのは言葉によってです.主は肉となった神の言葉です.しかし,真理を伝える言葉よりは,キリストとブッダのコンビを描いた漫画の方が多くの人に受け入れられます.

カトリックでは積極的に信者獲得の宣伝活動をしません.教会の門をいつでも誰にでも開いてはいますが,こちらから出かけて行って,押し売りのようなことはしません.

信仰は,やはり,外から押しつけられるものではなく,こころの奥底における神との出会いから始まるものだからです.何かある出来事がきっかけを提供してくれるでしょうが,信仰の出発点は,神の言葉を何らかの形で自分のこころのなかに聞き取ることです. 

十字架につけられた主の像も,きっと,日本でキリスト教が受け入れられない理由のひとつでしょう.しかし,それ無しでは復活の福音を説くことはできません.仮に聖母マリア様のイメージを大きく掲げても,十字架にかけられたイェス様をそれで覆い隠すわけには行きません.

主と出会えたわたしたちは選ばれた者なのだと,うぬぼれているわけにもいきません.

どうにかしてわたしたちが神の愛を証言することができますように.その機会と勇気をお与えください.

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