2014年9月25日木曜日

誰をも排除しない教会のために

先月,土浦市から東京都文京区へ転居しました.ちょうど2年間,Michael 神父様が司牧する土浦教会で過ごしました.その間,牛久入管収容所に拘禁されている兄弟姉妹たちを精神的に支援する Michael 神父様の活動をお手伝いする機会を与えていただきました.そこにおいて,主の御言葉に耳を傾ける弟子の立場だけでなく,主にならって,困窮している人々へ手を差しのべることによって神の愛を証言する伝道者の立場にみづから立つことができ,キリスト教徒であることの喜びをいっそう強く経験することができました.そのような機会を与えてくださった主と Michael 神父様とに感謝します.

今月から,文京区にある本郷教会に所属しています.主任司祭は,Notre Dame de Tokyo 関口教会の主任司祭である山本量太郎神父様が兼任なさっています.山本神父様が毎日曜日御ミサをしてくださることはできません.今までは,岡田大司教様や幸田司教様を含めて複数の神父様が交替で来てくださっていました.

しかし,信濃町駅の近くにある真生会館の建替工事がまもなく始まるので,真生会館の館長 Olivier Chegaray 神父様 (Mission étrangère de Paris) が当分の間,本郷教会の建物のなかにお住まいになることになりました.主日の御ミサを月に2回担当してくださいます.

9月21日の御ミサは,小宇佐敬二神父様があげてくださいました.小宇佐神父様は,障碍児とその家族を支援する「東京カリタスの家」の常務理事をなさっています.本郷教会の建物の4階は,東京カリタスの家のデイサービス活動「カリタスの翼」のために使われています.

また,本郷教会の建物の2階のホールは,来年初めから,難民支援活動を行っている「カトリック東京国際センター」(Catholic Tokyo International Centre : CTIC) の活動のために利用されることになっています.そこで,日本語が十分に話せない人々のために日本語教室が開かれるそうです.

牛久収容所訪問を毎週お手伝いすることは難しくなってしまいましたので,今後は,カリタスの家や CTIC の活動をできるだけお手伝いしてゆきたいと思っています.

障碍者と難民には共通性があります.彼らは共に,日本の社会から排除されています.日本は民主主義国ですが,民主主義は,実際には,差別と排除のシステムです.なぜなら,民主主義においては,多数派を形成する人々が支配権を握るからです.そこから排除される者が必ず存在します.政治的意見を異にする人々だけでなく,民族学的に異なる人々,一般的な労働に就けない障碍者たちは,排除され,社会の一員とは見なされません.形式的には法のもとの平等が掲げられていますが,実際には,差別と排除のシステムが働いています.

カトリック教会は,そのような差別と排除の意識を超克します.そのことを示しているのが,21日の御ミサでの福音朗読:「ぶどう園の労働者」の譬え話です.12時間働いた者にも,たった1時間しか働かなかった者にも,神は差別無く報いてくださいます.

小宇佐神父様は,御自分の体験にもとづいてお話してくださいました.神父様は学生時代,自分の生き方を根本的に見直すために,一時的に山谷で日雇い労働者をしたことがありました.地下鉄の建設現場で機械の入れない狭いところの土を掘り出す作業でした.多くの日雇い労働者がその現場で働いていたのですが,ひとり,alcoholism で全く作業のできない人がいました.既に健康状態はかなり悪いらしく,ツルハシを杖がわりにしてやっと立っていられるだけでした.しかし,ほかの労働者も現場責任者も何も言いません.一日の仕事が終わると,何もしなかった彼にも,ほかの人々と同じく,一日分の賃金が支払われました.

また,たまたま仕事を見つけることができずに全く無収入であった人には,幾人かが自分の収入の一部を分け与えていました.

山谷の日雇い労働者たちは皆,仕事にあぶれたときや,病気などの理由で働けないときに生活の糧を稼げないまま日々を過ごさねばならない不安感を,身を以て知っているのです.ですから,連帯と分かち合いの精神を身につけているのです.

「ぶどう園の労働者」の譬え話は,神の愛はあらゆる人間にあまねく注がれることを示しています.

「ぶどう園の労働者」の譬え話において,朝早くから働いていた者は,1時間しか働かなかった者にも同じ賃金が支払われるのを見て,主人に苦情を言いました.その場面は,「放蕩息子」が帰ってきたときに父に文句をいう兄を思い起こさせます.父は彼に,「お前は,常にわたしと一緒にいる幸福を味わっている」と諭します.朝早くから働いていたぶどう園労働者も,その間ずっと,主のもとで働き,主と共にいました.それにまさる幸福はありません.

放蕩息子を迎える父の喜び,1時間しか働かなかった者に支払われる一日分の賃金は,困窮と苦しみの辛抱に対する報いです.拷問の苦痛と死の恐怖に耐えた殉教者たちに主が報いるのと同じです.

現在の社会から排除された立場にいる人々は,彼らの苦痛の辛抱によって,主の愛を証言しています.わたしたちはむしろ,彼らを見習いたいと思います.彼らは,既に神の御国にいるのです.

Luc