2016年1月25日月曜日

西川哲彌神父様の御紹介

御存じのように,2016年1月10日付で東京大司教区の司祭の人事異動の一部が発表されました.

2016年4月に関口教会主任司祭に着任なさる西川哲彌神父様の御紹介.

東京教区ニュース第307号(2013年11月01日付)より.


教区司祭紹介 第38回

セバスチャン  西川哲彌(にしかわてつや)神父

1943年 1 月19日生まれ
1976年 11 月3日司祭叙階

ご出身は?

西川:父親の仕事の関係で、旧満州国奉天(ほうてん)市です。父は北海道出身で、旧満州国に渡り、そこで広島出身の母と結婚し、私が生まれたわけです。

その後は?

西川:1946年9月に、両親と共に、母の故郷の広島に引き上げてきました。ですから私の最も古い記憶は、広島でのものです。広島駅の焼け跡、駅周辺のバラック、闇市の風景、特需に沸く中での復興する状況などが鮮明に思い出されます。

広島で少年時代を?

西川:そうです。大学入学で上京するまで広島で過ごしました。
父と直接話したことはありませんが、今から推察するに、父にとっては広島での生活、特に引き上げてきてからしばらくは、とても苦しかったでしょうね。戦争を境に、価値観の転換に直面し、アイデンティティーの喪失感の中にあったに違いありません。住まいは引き上げ者用の住宅でしたし、それまでの自分のあり方に区切りをつけるかのように、農業に携わりました。今でも広島での父の姿を思い出すと、非常に複雑な思いに駆られます。同時に自分の生き方に大きな影響を受けてもいます。

大学入学で上京してからは?

西川:つてがあって、カテドラルの近くにある和敬塾(わけいじゅく)に入寮しました。昭和30年代半ばで、大学でも寮でもマルクス主義全盛の時代でした。学生が集まれば、すぐに議論が始まるような雰囲気でした。
そんな議論の折、私はまだキリスト者ではありませんでしたが、「人はパンだけで生きるものではない」とか「狭い門から入りなさい」など、聖句を引用してはぐらかしたりしたこともあり、聖書研究会に誘われました。大学1年の夏休みに聖書研究会の合宿に参加しました。そこで出会うのが、澤田和夫神父なんです。

興味深い出会いですね?

西川:誰を講師で呼ぶかという中で、出てきたのでしょうね。一人の先輩が澤田神父を推薦したと思います。
聖書の読み方も時代の反映で、マルクス主義的な傾きが中心でした。私はそのような方法に対し、ちょっと距離を持つスタンスでした。そういう状況の中で、澤田神父との出会いは、実に新鮮でした。そこにイエスの現存を感じました。
当時、川口で司祭生活を送っていた澤田神父のもとに通い、大学2年時に洗礼を受けました。

その後の歩みは?

西川:学生時代、どっぷりとマルクス主義につかっていた先輩たちが、就職の前になると髪を切り、スーツ姿に簡単に変身していくのを見るにつけ、自分は違った生き方を体験しようと思いました。そこで就職ではなく、大学院への進学を選びました。ゼミにも出ずに、日雇いをしていました。しかし修士論文も仕上げずに、日雇い仕事をしていることへの無責任さへの思いはいつも頭の片隅にありました。そろそろ区切りをつける時と言い聞かせ、修士論文に真剣に取り組み、なんとか提出しました。

召し出しのきっかけは?

西川:大学入学、休学、卒業、大学院受験の失敗と翌年の合格、修士課程の修了など10年近くの間、実に好き勝手なことをしていました。
修士論文に真剣に取り組む前で、まだ日雇い仕事にのめり込んでいたある日、山手線にかかる陸橋を歩いていた時のことでした。はっきりと声を聞きました。「私に付いてくるか」という呼びかけです。澤田和夫という司祭を通してご自分を示された方、好き勝手な生き方をしている自分に呼びかけた方に付いていきたいと心から思ったのが、召し出しの原点です。

お父上の反応は?

西川:父は洗礼の時、反対しませんでした。しかし司祭になるということに対しては反対でした。父の中には、男が一生結婚しないということが理解できなかったと思います。それを押し切っての神学院入学でした。
父は後に、広島市内の幟町(のぼりちょう)教会に勉強に通い、受洗しました。

神学生生活は?

西川:入学時、すでに28才でした。そんなこともあって、いきなり神学院の共同生活を始めることにはなりませんでした。院外神学生という身分でスタートし、上智大学に通うことになりました。
神学院も養成スタイルが変わった時代でした。イエズス会から司教団に養成が移管され、札幌教区の田村忠義神父が、新しい体制の最初の院長でした。この田村院長を始め、恩人ともいうべき方々に折々に救われ、クビにならずに今があります。神学生時代も好き勝手なことをしていましたからね。

司祭叙階の日に感じたことは?

西川:感激自体は、助祭叙階の時が強かったですね。ただただ司祭になりたいという思いで、神学生時代を過ごしてきたので。
司祭叙階までの歩みを振り返ると、ダメな自分ばかりです。ダメな自分の根は、意固地さだったり、コンプレックスだったり、照れ隠しだったりするわけです。自分自身だけを見るとどうしようもない存在です。しかし、そんな自分がイエスを背負っている、自分の背中にイエスがいる、背中にいるイエスがダメな自分を生かしてくれるという、叙階の秘跡の持つ偉大な神秘を噛みしめました。

司祭職の完成に向けた思いは?

西川:自分に近い世代の司祭を神様のもとに見送ることが増えました。6月にはアキレス腱も切断しました。体全体も弱ってきていることを思い知らされる毎日です。これらのことを通して呼びかけられていることがあると思います。それを素直に受け取りたいと自戒する日々です。