2014年7月9日水曜日

フランチェスコ教皇様の2014年7月6日の説教

教皇様の2014年7月6日の Angelus のときの説教です.(Luc 私訳)

兄弟姉妹たち,今日は!

    今日の日曜日の福音には,イェス様の招待が見出されます.主は,こうおっしゃっています:「労苦し,重荷を背負っている者は皆,わたしのもとへ来なさい.休ませてあげよう」(Mt 11,28). イェス様がそうおっしゃるとき,彼の目の前にいるのは,ガリラヤの街で毎日出会う人々です:つつましく,貧しく,病み,罪深く,疎外された多くの人々... それらの人々は,いつもイェス様の後を追いました.御ことばを聴くためです.希望を与えてくれる御ことばを!イェス様の御ことばは,いつも希望を与えてくれます!そしてまた,せめて彼の服の縁だけにでも触れるために.イェス様御自身も,羊飼い無き羊の群のような疲れ果てた群衆を探し求めました (cf. Mt 9,35-36). それは,彼らに神の御国を告げ知らせるためであり,多くの人々の身体と精神を癒やすためでした.今や,イェス様は,彼らを皆,御自分のもとへ招きます:「わたしのもとへ来なさい」.そして,慰めと休息を彼らに約束します.
    このイェス様からの招待は,不安定な生活条件や困難な生活状況に苦しみ,そして,ときとして有効な身分証明書も持たない多くの兄弟姉妹たちへ届くように,今の時代にまで及んでいます.貧しい国々において,また,豊かな国々の都市郊外において,多くの人々が,遺棄と無関心という耐えがたい重荷を背負わされて,疲れ果てています.無関心:困窮した人々に対して,他者の無関心は何という苦痛を与えることでしょう!しかも,より悪いことに,キリスト教徒たちが無関心なのです!社会の辺縁部では,多くの男女が,世間の無関心に苦しんでいます.満足に生活できないこと,満たされないことに苦しんでいます.自分の生命を危険にさらして故国から移住することを余儀なくなれた人々がたくさんいます.人間を搾取する経済システムの重荷を背負わされている人々は,今日,もっと多い.その経済システムは,耐えがたい軛を押しつけてきます.多くの人々が負わされているこの軛を,しかし,少数の特権階級の者たちは共に背負おうとはしません.天におられる御父の子供たちひとりひとりに,イェス様は繰り返し言います:「皆,わたしのもとへ来なさい」.しかし,イェス様はこの招きの御ことばを,すべてを持っていながらも心が空虚で神無きままである人々に向けても発しています.彼らにも,イェス様は「わたしのもとへ来なさい」と言っています.イェス様の招待は,すべての人々に向けられています.しかし,特に,より多く苦しんでいる人々に向けられています.
    イェス様は,皆に休息を与えることを約束します.しかしてまた,イェス様はわたしたちを招きます.その招きは,ひとつの命令のようでもあります:「わたしの軛を負いなさい,そして,わたしに学びなさい.そも,わたしは心の優しい,謙虚な者であるから」(Mt 11,29). 主の軛は,他人の重荷を兄弟愛を以て背負うことに存します.わたしたちは,キリストの休息と慰めをひとたび受けたなら,今度はわたしたちが,主にならって,優しく謙虚な態度を以て兄弟たちの休息と慰めになるよう,呼びかけられています.心の優しさと謙虚さによって,わたしたちは,他人の重荷を背負うことができるだけでなく,しかしてまた,わたしたちの個人的見解や判断や批判や無関心によって他人の重荷にならないようにすることができます.
    いと聖なるマリア様に祈りましょう.疲れ果てた人々をあなたの庇護のもとに迎え入れてください.主の光に照らされた信仰,わたしたちが人生のなかで証しする信仰を通して,わたしたちが,助けと優しさと希望を必要としている多くの人々のために慰めとなることができますように.




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